公務員試験とドラマ「教場」

また、木村拓哉さんのことか、と思わないで、公務員志望者も読んでもらえればと思います。

ドラマ「教場」では、工藤阿須賀さんが演じる、「警察官に憧れた」志願者がドラマの中心となってストーリーが展開している。

他の志願者と違って「憧れて公務員になろうとする者」に対して、教場は現実社会の片鱗を見せて、試練を与えている。

これは一般の公務員にも通じることだと思う。公務員試験を「安定」「楽な仕事」を目指して受験する者が多いが、就任後、離職する者も多い。これは「憧れ」と現実のギャップに起因することが多いのだと思う。

公務員の組織は地域の経済活動から生み出された税金を糧にして運営され、その国家・地域の伝統的な経済主体の経済活動を守るとともに発展させ、また、新たな成長をもたらす。そして経済活動から運悪く道を外れた者や、高齢者や社会的なハンディキャップを負った人に、社会の一員として再び活躍する道を提供する仕事であり、その仕事は、国家・地域の抱える課題と同様に「苦難」「苦労」の連続である。

成長・発展という光とともに、ハンディキャップという影の両方を見なければならず、その「影の側面」を安易に「現実」という二語で表現することは、20代の若者には受け入れがたいことも多いだろう。犯罪という形をとらないだけで光の部分も、影の部分も、ほとんど等価の困難を将来に抱えているからだと思う。

教場の最後に、木村拓哉は工藤阿須賀に「死ぬな」と命じる。

自分を犠牲にして事に対処しなければならないときに、憧れで職に就いた者は自らを犠牲にして事を解決しようとすることが多いからだろう。しかし、身を守ること、自分を大切することによって公務員として職を全うすることが結果、社会のためになることを伝えようとしているのだと思う。

公務員は社会経済の当事者ではなく、観察者であり支援者という位置づけであると思う。調整役という言葉が適しているかもしれない。仕事を「待遇」で選ぶことを否定しないが、公務員を選択しなかった私としては、公務員を離職する人の気持ちはわかる気がする。その苦労が良くわかるのである。

ただ、 「安定」「待遇」で職を選んだ者が、社会の現実を知り、よりよい社会への原動力になってくれることも多いことは、公務員人事の経験則としてあるのだと思う。

「好待遇」「安定」「終身雇用」という魅力的な言葉は、それを手に入れた者には「より良い待遇を手に入れたいと思う段階(隣の庭はよく見える)」へと進むのか、それとも「公僕」という言葉の意味を勉強するチャンスとなるのかを選択させることになる。

「思ったよりもいい待遇ではない」ことは覚悟した方がいい。それは民間企業においても同じことだ。宣伝文句でよりよい就活生を集めて、地域の発展のために「苦労してもらう」のが公務員試験の目的である。試練が多いことを隠しているからと言って、民間企業でも同じことなのである。

感情を表して住民と共に喜ぶことも悲しむことも、その姿を見せてはならない。怒ることも泣くこともまた厳禁であるかもしれない。その苦労は「忍耐」という言葉と「努力」という言葉に象徴されると思う。私の良く知る警官たちは恐怖も驚きも怒りも、すべて理性で押し殺して職務を全うしていた。行政官もまた同じだろう。

ドラマでは、「教場」を卒業できなかった者を落伍者としては表現していない。彼ら、彼女たちの人生がまた、教場の行き着く先とは違う、喜びや豊かさを素直に享受できる社会であることを示して終わっている。彼らの人生の方が豊かで実りがあるというのではない。得られる喜びや充実感が異なるという意味で、二つの世界を示しているのかもしれない。

私も多くの公務員を世に送り出してきたが、彼らに背負わせたものの重みを知っているからこそ「不合格」になることを失敗とも不幸とも思わない。人生の岐路に立ち、どちらか一つを選択しなければならなかっただけなのだ。

不合格を恐れる必要はない。

選択のチャンスを得て、そして努力し、選択しただけなのだと考えるのがいい。

風間公親は教場の最後で、卒業していく警察官たちに「(密に)一礼」をする。それは、卒業していく彼らの未来が苦難・苦労に満ちていて、その苦労を自分に代わって背負わせることに対する謝罪の念が込められているのかもしれない。

民間企業や労働者は税金を納税すれば、社会貢献をする義務は果たされる。勿論、納税はとても大変なことであり、人間であれば人生の所得の15%以上を税に費やすことになるのだから子供の未来に賭ける金以上のものであり、莫大な財産である。

しかし、公務員になれば、その税だけでなく、自分の人生の大半を地域社会や国家のために捧げなければならない。税金以上に人生を公に奉仕することになるのだから、その人生に我々民間人は感謝し、その実りをより大きく育てて成長していくべき責務があるのかもしれない。

公務は「優しい」仕事ではない。法律によって制限され、国民の権利・利益を「ある者は助け、ある者は見捨て」なければならない「過酷」なことの繰り返しなのである。そこには若者の純粋な気持ちでは割り切れない「矛盾」があり、その「矛盾」こそが、社会そのものの姿なのだと私は思っている。

その矛盾と付き合うことが公務なのかもしれない。そうした困難な仕事を辞めずに人生を全うする人々を尊敬している。

それを「使命感」と呼ぶには、あまりに大きな災厄なのかもしれない。

この仕事についてから、ずっと、そんな気持ちをもって彼ら・彼女たちを送り出してきた。

そして、民間企業で華やかな仕事をして、ちょっと小休止のつもりで教鞭をとった私に、最初の卒業生たちが「その気持ちを持たせてくれた」ことを今でも感謝している。

努力を惜しまず、迷わずに、目標に向かって進んでもらいたい。

民間企業よりも「ちょっとましかもしれない」程度の気持ちで受験してもらえると、離職率はかなり低くなると思う。

忍耐と努力。それは受験勉強に最も必要な要素だと思う。

「勉強」という言葉は「学習」とは違う意味が含まれる。

「勉(つとめて)強(つよく)」と書かれたこの二文字は、その意味において、努力を続けることの困難とともに、忍耐と根性が社会において求められていることを象徴しているのかもしれない。

その先に「栄光」「栄誉」「富」のような光輝くものがないとしても、人は進まなければならないことを暗に示しているのかもしれない。

成田空港で警備をしている警察官に、笑顔で挨拶(敬礼)をした時に、はにかむ様に笑ったその笑顔に日本人らしい実直さと誠実さを感じて日本を旅立ったことを今でも忘れない。

この国を支えているのは名もない彼らなのだと実感した。

昭和・平成・令和と三時代のアイドルとして、これからも木村さんが素晴らしい演技をしてくれることと、その姿を見て、公務員を目指す人が多くなることを期待して、この記事を書く。