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やりがいのある仕事がいっぱい―都庁

  首都大学東京客員教授(前東京都技監) 横溝  良一

 

やりがいのある仕事がいっぱい―都庁

東京は急速に進行する少子高齢化や人口減少社会の到来、首都直下地震をはじめとする災害の脅威など、多くの重要な課題に直面しています。

その一方、2020年オリンピック・パラリンピック競技大会の開催を5年後に控え、ハード・ソフトの両面で万全な準備を整える必要があります。さらに競技大会終了後も東京が発展し続けるため、今からさまざまな新しい施策の種を蒔いておくことが重要です。

このことに的確に対応し、都民が「東京に生まれて、東京で暮らせてよかった」と実感できるまちを作り上げることが、都庁の役割です。

そのための道筋を示すバイブルとして、平成26年12月に「東京都長期ビジョン」を策定しました。このビジョンでは、目指すべき将来像として「世界一の都市・東京の実現」を掲げるとともに、「史上最高のオリンピック・パラリンピックの実現」と「課題を解決し、将来にわたる東京の持続的発展」の2つを基本目標としています。

これを実現するために、政策の方向性について8つの「都市戦略」と25の政策指針を掲げ、既に具体的な施策を展開しています。大変分厚い冊子ですが、それだけ多くの施策が埋め込まれています。概要版で結構ですから、是非、目を通していただきたいと思います。

ところで、現在、日本の首都である東京には、総人口の約1割、1,300万人が生活をしています。また、国内総生産でみると、カナダやオーストラリア一国と同程度の経済規模を持っています。東京が他の地方自治体と異なり、“地方公務員でなくは首都公務員”と言われるゆえんと言ってもいいでしょう。その仕事は多岐に渡り、東京が進める斬新な施策が世の中に受け入れられ、国全体に広がっていくことも少なくありません。その理由は、抱える人口や経済力だけでなく、新しい政策を打ち出すことができる優秀な職員を多く抱えていることも大きな要因です。都庁は、国と異なり、都立病院、都営交通、卸売市場さらには、橋や道路の建設等、多くの現場を抱えています。この現場での住民の方々や中小企業の方々との膝を交えた意見交換の中から、都民の皆さんが本当に必要としていることを知ることができます。机の上だけでの勉強と異なり、生きた情報を手に入れることができるわけです。また、海外研修制度や国内の大学での研修、大手民間企業、国、他の地方自治体への派遣や人事交流も行っています。

このような取り組みによって、必然的に職員の意欲と能力が向上し、単に意欲が高いだけでなく、視野の広い人材が育っていく素地が都庁にはあると言っても過言ではないでしょう。

また、昇任制度も国や他の地方自治体とは大きく異なっています。入庁した時の成績や、大卒、高卒、○○大学出身といった区別はありません。昇任試験に合格さえすれば、本人の実力次第で局長級まで上り詰めることができます。さらに男性、女性の区別もありません。都庁に採用されてからが勝負です。重ねて言いますが、都庁は、本人のやる気と努力、仕事を進める能力等、実力本位の組織です。私も2年間、民間企業で働いてから都庁の門をたたきましたが、新卒者と差別されたことはありません。

最後になりますが、都庁の仕事は、教育、文化・スポーツ、暮らし・住まい、福祉・人権、健康・医療、経済・産業、環境、まちづくり、道路・交通、防災・安全、そして計画・財政・税と多岐の分野に及びます。その中には、自分にとって一生の仕事となることがあるはずです。是非、都庁に入ってやりがいを見つけてください。

なお、都庁の仕事について、もう少し詳しく知りたい方は、都庁ホームページを是非ご覧ください。そして都庁の職員になっていただき、未来に向かって、日本を夢と希望と輝きに満ちた国へと一緒に変えていきましょう。

 

 

 

 

過去問は正しく勉強しなければダメ。スーカコは役に立たない

弊社のHPで過去問を公開してから10年になりますが、その間、ダウンロードされた人は、計算では10万人以上になると思います。

過去問を初めて見て、「皆さんが勉強している「問題集」とは全く違う」という印象を受けると思います。

まず、文字。これは試験によって違いますが、市販の問題集とは大きさも違うし、そもそも、文字数も違います。また、表記法も、並べ方も、そして選択肢が縦並びか横並びかも違います。

どうして違うのかと言うと、単に、「編集をしている業者の都合」です。

まあ、フォントが違うこととか、選択肢に「.」がついているかどうかなどは大したことではないのですが、問題の形式や配置が違うのは印象が大きく変わって困る。正解が簡単に見つかる問題でも、選択肢の配置を変えられると正解がわかりにくくなってしまう。

「過去問を熟知している人間」には、こうした「小細工」がマイナスに作用して成績が落ちます。

また、本番の問題40問を、次から次へと解かなければならないことを実感すると「普段から1問ずつ勉強している暇はない。」「ノンビリ解いている暇はない。」「飛ばす問題は飛ばさないと時間内にはできない。」「必ず難しい問題があって、その問題にひっかかったらおしまいだ。」ということに気づくはずです。そして、問題の順番も、試験によって特徴があることに気づくでしょう。

こういうことに気づかずに、勉強していても実践力は付きません。また予備校の模試程度でも、大きな効果は望めません。

結局、受験勉強の最初から「ゴールを意識した勉強」をしなければならないのです。

「過去問を正しく勉強する」というのは、本番の問題用紙を意識して、自分のできる問題には時間を割き、できない問題には時間を割かない、という本番と同じことを普段の勉強から続けることなのです。

「受験勉強が完成する」とは、自分が解かなければならない問題について100%の情報を得るということです。そして余裕ができたら他の試験で今年出題された問題を勉強しましょう。それは2017年では特に必要です。なぜなら、試験傾向が数的重視に大きく変わってきているからです

「受けない試験の問題も、予想問題になったり、応用問題として役に立つ。」というのは不合格者や敗者の弁です。過去問も満足に理解できていないのに、余計な問題が入っている問題集を買えば、それは、「未来の予測」ではなく、「余計な過去の雑音」を買うことに等しいでしょう。

いろいろな問題を適当に編集して掲載した問題集とは、結局、編集した人間の学力以上の者には役に立ちません。過去問の製作者よりもはるかに劣るものが出来上がるだけです。だから、過去問はできるだけ原型を勉強しなければ意味がないのです。

その試験で出た問題を、出た順番に、また、年度・時系列に沿って再現された問題集こそがゴールであり、スタートラインになるのです。本番のリアルない再現が受験勉強の中心になければ「択一試験」の受験勉強には不向きな教材と言っていいでしょう。

雑音のない受験勉強を目指すことが短期合格の秘訣です。

しかし、市役所C日程のように「過去問が公開されない」試験では、より数的処理重視になります。そして知識も「絞り込まれた出題」になっていきます。数的を確実に得点源にする練習が必要です。

過去問が公開されていない地方上級は特別区や東京都の過去問を完全に制覇することで合格できます。最大の間違いは「関係のない問題をやる」ことです。「今年の過去問を一番最後にやる」という愚行です。まず、今年の問題を最初にしっかりと勉強して、来年の傾向を探る。それが合格の基礎になります。すー過去のように数年に一回しか改訂されない問題集は使ってはいけません。時間の浪費です。

公務員試験では「未来は過去の中」と決まっています。

予測不能の、気まぐれで作られた新傾向の問題など、解かなければいいのです。それで合格できるのが公務員試験です。

「下手な考え、休むに似たり。」と言うではないですか

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株式会社 公務員試験予備校   島村隆太
本社 〒100-0005 東京都千代田区丸の内1-6-2
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理系大学生は、公務員の事務職に合格できますか(2016・2017年の事情)?

「公務員」であれば、何でも良いというなら、理系大学生でも問題ないでしょう。

人口規模が数万人程度の小さな市役所では、そもそも、文系の職種と理系の職種を分けていないのが普通ですから、理系の大学生と文系の大学生を差別しない自治体が多いと思います。
募集で「事務職(行政事務)」と「技術職(電気・土木・建築・農学)」のように職種を別に分けている場合でも、人口が20万人以下の自治体程度なら、
募集で、優秀な理系大学の学生が受けてくれれば、文系の一般的な大学の学生よりも採用可能性は高い場合も多いのではないでしょうか?

また、昨今の好景気で東京特別区では、大卒以外でも「1類」試験に採用しようとしているようです。基礎的な自治体である東京都特別区では「大量に採用するには大学生だけでは足りない」ということなのだと思います。なので、理系でも私の学校では特別区には合格しています。

しかし、国家公務員総合職や、国家一般職のように、大卒程度で技術職のように理系の職種を設けている場合は、
理系学部の学生は技術職でないと採用してもらえないと思います。

募集側が、明確に理系と文系を分けている場合は、公務員事務職には文系大学生を、技術職には理系大学生を採用したいという意思が募集要項に現れています。
その採用側の意図を組まなければ採用されません。

理系の学生さんは、文系職種の方が募集が多いからと、文系で受けようと思ったり、また、自分の職種の募集がないから文系で受けようとする人が多いですが、簡単には受からないと思います。
募集が数十人の自治体は、文系でも合格するのに数年かかることが多いのですから、少々募集人員が理系より多いからと言って、簡単に受かるとは思わない方が良いでしょう。

ただ、最初に書いたように、募集は需要と供給のバランスで決まる面もあります。
例えば、政令市や、それ以下の市役所の場合は、一流国立大学や有名大学の理系の学生が事務職に募集してきた場合は、採用したくなる場合もあるでしょう。
となると、理系大学生でも事務職に採用されることも多いでしょう。2017年採用のように、好景気でいい文系大学生がいないという状況では理系の学生の方が有望です。

基本的には、需要と供給のバランスと、その職種の仕事内容、また、相手の求めている能力によります。

ただ、小さい自治体では先ほど書いたように、そもそも理系と文系を分けていない場合が多いですから、どの自治体にでもあてはまるわけではないので、ネットに書き込まれた「私のまわりは理系が多い」的な発言には注意した方が良いでしょう。

 

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より印象の良い論文の書き方

例えば、少子高齢化について、出題されたとする。

予備校の模範答案を覚えていて、それをそのまま「吐き出し」て満足する人が多いだろうが、

採点者は、「同じような答案が多い」ことに気づき、

「この学生は、○○予備校だな」とか、

「この受験者は、××の模範答案を書いているな。」と分類する。

「この論文は良くかけている」とは評価せず、「記憶力が良い」と評価するだけでしかない。

評価は「C」どまりでしょう。

「B」を取るにはどうしたらいいだろう。

簡単です。暗記だけではなく、受験自治体、特有の事情を加えることです。

少子化は、大都市圏で進行が速く、高齢化は、過疎地で進行が速い。

受験している自治体が、そのどちらに含まれるかは、自治体の公表している統計数字を見ればすぐにわかる。

政令指定都市なら、大都市型で、少子化の進行が平均より早く、高齢化は遅い。

それをもとに、その自治体の現状認識をして、適切な対策を述べることが「B評価」を得るための論文術でしょう。

ただ、特別区のように、二問出題される自治体では、問題の選択が「将来」を決めます。

「少子化」「高齢者」と問題文に巧妙に含まれる方を書けば、将来は「社会福祉」で決まる。

これに対して「スマホ」を選べば「まちづくり」に配属。

社会福祉や生活保護で人生を消費するには、前者が、街づくりや、外国人観光などの仕事をしたければ後者の問題を書くのがいい。

ちなみに、弊社では後者を教えています。

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受験勉強のコツ(受かる勉強法) 公務員試験の勉強法 

公務員試験の指導者としてたくさんの合格者を出してきた経験から、また、現在東大、阪大受験生を個人指導している経験から、受かる勉強法というのを紹介してみたいと思います。

質問がある場合にはhttp://karisumakousi.com 東大カリスマ講師の公務員予備校を見てみてください。

私がおすすめしている勉強法、そして、自分が大学受験や、公務員試験で推奨してきた勉強法の基本は

Ⅰ 朝5時には起きて、通勤前2時間は勉強できる時間を作る。大学生の場合は、本番前2か月は朝5時に起きて勉強する。

Ⅱ 家の中で目に付く場所(机の前の壁・トイレのドアの裏側・階段の踊り場・洋服ダンスの裏側)などに、重要な知識はポストイットなどで張っておき自然に目にするようにして暗記(反復)する。数的の解説もA5サイズくらいにしてカレンダーのようにして壁に貼る。

Ⅲ 通勤・通学中に5分あれば勉強できるようにする。数的の問題を単語帳のような大きさにして持ち歩く。

Ⅳ 数学・物理・化学・英語では予備校の有名講師の書いた解説をさらに添削して、より論理的に正当な解説に書き直して完全に覚えるまで数十回書写反復する。

です。これを実現することが、短期合格につながります。

以上のⅠ~Ⅳについて、その前提として、受験勉強を効率的にするための教材が必要になります。その教材について、述べてみます。

<< 受験勉強 総論 「効率の良い受験勉強」に必要なものとは >>

受験勉強で大切なことは、合格するためにしなければならない勉強の「全体量をできるだけ早く把握することです。 そのためには、いったい、何問の過去問を勉強しなければならないか(何年分の過去問を勉強しなければならないか)を確認すればいいでしょう。

10年分でも20年分でも、2,3年の受験準備期間があるなら、やれる限りの過去問をやるのが良いですが、1年未満で合格しようとするには、弊社の場合は6年程度で受かっていますが、弊社の教材を利用しない場合には10年くらいが必要ではないでしょうか?

〇 合格の法則はない?

受験生の多くが「合格の法則」を求めます。 すべての試験に当てはまる解法や、得点法を求めますが、そもそも試験を実施する人は、他の試験との差別化を目的として試験を実施します。大学受験でも採用試験でも、他の大学や他の職種と同じ問題にならないように差別化しますので、皆さんが考えるような「合格の法則」「万能の解法」を見つけることはできません。論理的思考方法としてカリスマ講師のマル秘授業公開で紹介した「あてはめ」や「多数決の法則」がありますが、これは「問題を解くための技術」というよりも「問題を作るための技術」「難易度を調整するための技術」であって「論理的に思考すれば当然にこうなる」という技術でしかありません。 大学受験でも公務員試験でも、最も効率がいいのは、一つの試験に絞って受験勉強を始めることです。たくさんの試験に受かったとしても、何年もかかってしまえば「効率が良い」とは言えません。したがって法則を求めることは不合格への法則と言っていいでしょう。

〇 皆さんの勉強してきたことの多くは公務員試験に使えない?

最短時間で志望する大学・公務員になるには、無駄をできるだけ排除することが必要です。

ただ、気付かないうちに皆さんは無駄を覚えてしまっています。それが高校までの教科書の内容です。世界史なら〇〇出版、日本史なら〇〇出版。自然科学なら〇〇式など参考書や教科書を基にして大学受験までの教養知識は出来上がっていますが、これらは民間の教育機関や出版社が書いたもので、その根拠は政府が公表したものではなく、昔々の何とか大学の何とか先生の話したことが根拠となっている「私的」なものなのです。

したがって、公務員試験(だけではなく全ての公的試験、国家資格試験)の正解の根拠とはなりません。どんなに有名でえらい先生の「お説」でも私立大学の先生なら、単なる民間人の私的見解でしかないからです。

これは大学入試でも同じです。例えば、東大、京大、阪大などの超優良国立大学の二次試験問題は、その大学の先生が「こういう基礎知識を持っている人を選びたい」という意図で出題しますが、そういう人は、民間の教科書で勉強した人ではありません。私の経験上、民間の教科書の中の、ほんの「一握り」の公的見解や、東大・阪大などの授業で必要な解法、考え方を身につけた人間が合格しています。

つまり、私的な見解に振り回されていては、東大も、公務員試験も受からないということが言えるのです。

本校では、そうした民間通説、私的見解、私立大学の先生の話した見解、東大以外の先生の話した見解をできるだけ教材から排除して作ってあるので、正解を迷わずに選べる構成になっています。それは、専門だけではなく、教養もです。また大学入試センター試験の解説をする場合も意識して解説するようにしています。

結局、皆さんは高校までの「学校教科書」に縛られているので、大学受験だけではなく、公務員試験にも失敗し続けるという構図になっているのです。

合格するには高校までの学習内容を離れて、過去問に出た正解の知識と、不正解の選択肢だけを集めて整理して勉強する。しかし、それが私立大学生ではできないので、得点が伸びず、国公立大学生のはるか下の得点になってしまっているのです。経済なども無用な見解(過去に経済事実として認識されたことがない空論)を述べることが多い先生が多いのも困ったものです。

本校では、過去問で正解としている知識と、不正解としている知識だけから知識を連想構成して授業を構成しています。また東大の法学部の教授たちの言っていることの中で、本音だけを正解にしています。

これが本校の専門科目のテキスト、講義が「歯抜け」のように見えて、実は「出題できる分野」だけを効率よく教えている理由なのです。それが効率よくい短期間で合格できる理由です。

なので、本校で勉強することをお勧めします。

それが嫌だという人は、5年くらいは浪人することを覚悟するべきでしょう。あなたの頭の中にある「受かりにくい知識」「受かりにくい解法」を自力で排除するにはそのくらいの時間はかかると思います。

皆さんが試験に落ちてきた原因となった、高校までの勉強内容から抜け出せれば、合格は目の前です。

〇 大手予備校の教材を使って受かるにはどうしたらいいのか?

過去問を一人で、全部正解できるように勉強すれば良いと思いますが、それができるのは業界でも私くらいだと思いますので、何年もかけて、そういうことをするよりも、必勝合格パックを購入して、DVDでその知識の広がりと、考え方を学んだ方が良いと思います。

いずれにしても、高得点を取る方法は、私のように、市販の問題集に一切頼らずに、解説を考えて全科目を教えるようにすることでしょう。だから弊社の教材を使った人はみんな、従来の予備校に何年通っても取れなかった得点を取って合格していくのです。

 

〇 大学受験と公務員受験

現在、東大と阪大の受験生を個人指導しています。(ご希望の方は年間48万円で2名まで引き受けます)。

それでわかったことは、大学受験でも公務員受験でも、受験生を苦労させているのは、受験参考書の難解な解説であるということです。無駄に字数が多く、かつ、あたまの悪い解説ばかり。これが落ちる原因です。

それを、本校では、すべて解消して指導しているから短期で受かるのです。私がごく普通の区立小学校、区立中学、偏差値50程度の都立目黒高校から東大に合格したのも、学校の成績が中の中だったからです。つまり学校の勉強を全く真剣にしなかったからです。だから中学での全国学力テストはすべて満点をとることができたと言っていいでしょう。そして大学受験予備校でも、教え方が上手い、論理的に考えているという先生の授業を選んで、他のクラスに潜り込んで自分なりの受験勉強を構築し「完全な解答・解法・私的見解の含まれる余地のない知識を作りあげた」ことが最大の勝因だと思っています。

本校が、他の講師を雇わないのは、雇いたくても雇うに値する講師がいないからです。また全科目を難なくこなすような東大出身の講師もいないというのが実情だからです。そんな素晴らしい人は大企業や政府、金融機関でバリバリと働いているからです。

公務員などの予備校で働いている人たちは、そこまで合格に熱意をもって指導していないと思えるからです。なので、そうした熱意がある人ならいつでも歓迎しますので是非、弊社に面接に来てください。能力を判断して採用します。

そして、受験生の皆さんの中で、短期で受かりたい人、高得点で受かりたい人は本校へどうぞ。通学クラスもそろそろ満席になります。

 

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株式会社 公務員試験予備校   島村隆太
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人生は何度でもやり直せる   

「千葉ロッテマリーンズの球団改革を手掛けた当事者による熱血スポーツ経営論!  PDCAサイクルでスポーツビジネスの経営を徹底分析。財務構造、ビジネスモデル、中期経営計画の策定からスタジアムへの入場者増員計画、ファン・親会社などステークホルダーとのコミュニケーションまで、スポーツビジネスを網羅的に解説した決定版テキストの誕生!」(以上、アマゾン著者紹介より)

prolouge

「人生は何度でもやり直せる」、これまでの人生で7~8回も転職し(自分でも回数がわからなくなっています<笑>)この言葉を体現してきた僕に、島村さんから「転職する20代、30代の人に贈る言葉」というタイトルで文章を書いてくれないかという依頼があり、ゴールデンウイークのさ中、このコラムを書いています。
但し、転職する「20代、30代の人に」の所には、ちょっと注釈があります。これだけ転職を繰り返し、そして、これまで36年間ビジネスパーソンを続けてきてこの4月からも新しい仕事(大学の教員。実務系教員として、「経営」、「財務」、「経済」、そしてちょっとスペシフィック感ありですが、「スポーツ・マネジメント」を教えています)に就いた僕ですが、実は大学を卒業してから20年以上は一つの会社で働き、最初の転職は20代、30代をとっくに過ぎた45歳という遅い年齢だったので、20代、30代の人の心情に即した形でのアドバイスは出来ません。むしろ、あと3か月で還暦を迎える中年のオジサンから、これまでの35年に渡るビジネスライフを俯瞰したような視点で、ちょっとアドバイスめいた言葉を贈りたいと思うのです。

まずは僕自身の転職経験を簡単に書いておかなければなりますまい。
東京大学経済学部を卒業し、さしてやりたい仕事も、夢や使命感があるわけでもない就職活動の中、偶々丸の内界隈で出会った大学の同級生から、「これから企業訪問するんだけど、一緒に行こうか」と誘われて、面談した人事部の人の人柄に好意を持ち、こちらもエラく気に入られて何となく入ってしまった保険会社、そこでは10年間以上株や債券や為替を売ったり買ったりという資産運用の最前線に立ち、1980年代バブル景気の恩恵と、その崩壊による兆円を超える巨額な損失と道連れの奈落の底への転落、心身共にズタズタになるというローラーコースターのような経験をしました。そして1990年代、皮肉にも見つけた「仕事上の使命感」は自分にも責任の一端があった経営不振からの「再生、経営改革」であり、その使命についても自分なりに決着をつけて、「もう会社のことは済んだことにして、あとは自分のためのビジネスライフ」を送ろうと考えて2000年に初めての転職先として外資系金融機関を選んだのでした。1980年代、1990年代と波瀾万丈みたいな人生に思われたわけですが、実は転職後のジェットコースターは、以前よりももっと振幅が大きく、かつ周期も極端に短い激烈なものだったのです。外資系で常務にまで上り詰めた後のITバブルの崩壊による戦力外通知、ベンチャービジネスへの転身、プロ野球球団再生、IT企業のCFO就任・・・目まぐるしく、運命に翻弄されるかの如く日々は過ぎて行き、早いときには7か月で次の会社に移る・・・というようなことすらありました。
その間、40代の半ばから50代後半までの、終身雇用的な働き方をしている人たちの場合は「もう先が見え、定年の準備が始まる」ような時期に、僕自身は日々「戦い」の中に身を置いて、常に己を全うしようとするが如きに完全アウエーともいうべき新しい会社の中で組織を強くする「経営改革」を志向しながら、ホームレスになることもなく企業社会で何とかサバイブしてきたのでした。
最初の転職から今に至る15年間、地べたに這いつくばりながら努力を重ねて知見を拡げ、他流試合のお蔭で、ありとあらゆるナレッジを引出しに貯めこむことが出来、またどんな境遇でも結果を出せる自信(要するに戦略的にひたすら努力さえすれば結果は出るはずだという開き直り、楽観)を得ることもできました。そして今度は貯めこんだナレッジと経験を若い人に教えることをライフワークとすべく、大学教員として学生の教育に全身全霊をかたむけることが新たな自分の使命となったのです。

僕自身の体験はこれくらいにして、本題である「贈る言葉」に移りたいと思います。35年の多岐に渡るビジネスライフの中から皆さんに参考になりそうなことを二つだけ書いておきましょう。
①ビジネスの中で、何十年も錆びつかないような「盤石なスキル」という物は存在しない。自分の経験の中でスキルを深く磨いておくことは極めて重要だが、インターネットの進化のような破壊的イノベーションによって、自分が苦労して極めたスキルが突然陳腐化する時代になってきている。スキルは一つではなく横にずらして拡げていくこと、そしてそうしたスキルよりむしろ、どんな仕事でも、どんな境遇になろうとも、身の回りの仕事や課題に真正面から向き合い、石にすがりついても何とか解決し、そのナレッジを身につけていこうとする努力(真面目さ)を何歳になっても持ち続けることが大事。
②学生時代の友人、社会に出てからの友人を大切にすること。ビジネスライクな関係ではなく、信頼し合い、困ったときには助けたいと心から思う友人を会社の垣根を越えて沢山持ち、常に自分の状況を曝け出して関係をキープしてきたことが、窮地に立ったとき、難題に直面したときにどれほど助けになったかわからない。勤めていた会社に何らかの理由で居られなくなったときにも親身になって考えてくれた友人たち・・・。数ある転職先の大半は(ヘッドハンターである友人も含め)友人からの紹介であった(※大学教員という今の仕事は友人からの紹介ではなく公募によるものです)。

今、正に転職しようとしている20代、30代の人たちには、僕自身の体験から得られた言葉を贈りたいと思います。
まず、仕事や会社に不満が鬱積していて「転職したら今よりは良くなるだろうな」と転職願望にある人には、まず「本当に今の仕事が嫌なのか」を胸に手を当てて考えてもらいたいと思います。安易な転職は後悔のもとだし、実際楽な転職という物はこの世の中にはないと言っても良いでしょう。僕自身何度かハローワークに(短期間ですが)通わざるを得ないこともありました。定職がなく職探しをしているとき、電車の中、仕事で疲れた顔をしているビジネスパーソンを見て、「あんた定職あることの有難さ、毎月月給がコンスタントに銀行口座に振り込まれることの有難さを知らないんだよな」と思ったことが何度でもあります。今やっている仕事を出来るだけ続けられるなら、それに越したことはないように思います。最初からキャリアアップで転職することを計画していた人を除き、転職する人は「本当に今いる会社・職場が嫌だから転職する」のであって、そうでないなら転職を今の日本人はしないものです。
しかし「本当に本当に、今いる会社が嫌になったのだったら」転職するのも良いでしょう。人生は二度ないのだし、どんなに苦労しても自分が選んだ途を行く方が意味のある人生であるように思います。人生には勝ちも負けもないと思っていますが、やらなかった後悔ほど人生の最後まで悔いとして残るものはないように思います。生きたいように生きる、それに勝る人生はないように思います。

埼玉工業大学 人間社会学部情報社会学科 教授 小寺 昇二

 

episode 2  社会人なりたての頃

「千葉ロッテマリーンズの球団改革を手掛けた当事者による熱血スポーツ経営論!  PDCAサイクルでスポーツビジネスの経営を徹底分析。財務構造、ビジネスモデル、中期経営計画の策定からスタジアムへの入場者増員計画、ファン・親会社などステークホルダーとのコミュニケーションまで、スポーツビジネスを網羅的に解説した決定版テキストの誕生!」(以上、アマゾン著者紹介より)

埼玉工業大学 人間社会学部情報社会学科 教授 小寺 昇二

episode 2  社会人なりたての頃

大学を出て入った生命保険と言う業種は、当時は社会的にステータスも低く二流の業種でしたが、1970年代から80年代にかけて日本の経済的な成熟に伴う国民の豊かさの伸長と共に保険ニーズは拡大を続け、家計の余剰マネーが生命保険会社に流入したことによってもの凄い勢いで成長しかかる状況でありました。皆さんも話に聞いたことがあるでしょう「バブル経済」まっしぐらの日本の状況、その中での一つの象徴としての生命保険商品の販売増加、生命保険会社の資産膨張だったんです・・・皆さん若い世代は、物心のついた頃から「失われた20年」とか言われると、「またその話か。ウチらはバブルとか昭和とか知らないし、生まれた頃からずっと良くなかったから、『失われた』って言われてもワカンナイんだよ」と言われかねないでしょう。まあ、まあそう言わずに、皆さんにも少しは役立つ話かもしれないので、少しお付き合い下さいね。

僕が就職した1979年は第二次石油ショックのあおりを受けた不況の時期にあたり比較的就職環境が良くなかったため、通常なら他のより人気の高い会社に流れて内定辞退するはずの人が辞退しなかったため、僕の入社した保険会社では、採用予定230人のところ、実際には250人が入社することになってしまったのでした。僕が配属されたのは、財務審査部という、膨張する資金(預かる保険料・・・保険金支払いまで資産運用して元金を増やさなければならない)の運用先である企業融資のための信用調査(貸倒れにならないかの調査)を行う部署でした。ところが、ここに配属された新人は僕以外にもう一人おり、彼は普通に「課」に所属して信用調査業務を行ったのに対し、僕は財務審査部付きということで課に所属せず、ルーティーンはないと言うのです。配属されて暫くして人事担当役員が財務審査の部長に話をしているのが聞こえてきてしまったのですが、「今度配属は2名だけど、正式な配属人員は1名、もう一人は『預かり』だ」と言うのです。僕が採用数を読み違えた余剰人員であることは間違いなく、その人選としては、よっぽど仕事が出来そうにないと思われたのか、あるいはその逆だったのか・・・今思えばかなり微妙なポジションでしたが、当時から万事能天気な性格から、「ふーん、そうなんだ。まあ会社の都合だし、俺には関係ないな」と気にしていませんでした。

そんなポジションのことよりも、もっと大変だったのは上司です。この御仁、9歳上の独身男性、社内では並ぶ者がいないダントツの勉強家で、尊敬するのはナチスのヒットラーと言うナショナリスト(と言うか国粋主義者)であり、かつ軍事オタクの方だったのです。まあ多分にポーズもあったとは思いますが・・・。頭はすこぶる優秀である上に性格は激烈で部下に厳しく、それまで仕えた部下たちは一人残らず体調を壊すか毛髪が薄くなるかといった具合で「撃墜王」と呼ばれていました。彼としては、自分が実行している厳しさを部下にも要求しているだけであり、加えてこの二流会社において世間に通用するような人間を育成したいという善意の思いが強かったのでしょう。配属一日目から、厳しい愛のムチは容赦なく、ある意味必死で「負けないゼ」と思って毎日戦っていたようなものでした。所謂マン・ツー・マンでのトレーニングだったわけですね。家に帰ってもゆったりすることなどほとんどなく仕事に関連した勉強をやっていた記憶があります。土日(当時はまだ土曜日も『ハンドン』と言って午前中は出社していました)や祝日も、時間の半分はスポーツ、趣味などで使っても、半分は勉強をする・・・という緊張感が途切れることのない1年を過ごしました。職場でも良く二人で面と向かって論争を繰り返し、周りの先輩たちはハラハラ見ていたようです(まあ、自分は感情抜きの論理と論理で戦っていただけなので、精神的にどうこう言う状態ではなかったのですが・・・)。修行のために僕が書いた調査レポートで一つ思い出があります。いつも真っ赤に添削されて返ってきて、その直しは常に正しく、必ずその直しに従って直すのですが、ある時「日本の・・・」という記述が「我が国の・・・」と直されていたのに、自分としては違和感があり、そのままにしていたら、次の直しでも同じように「我が国の・・・」と直され、それでもまた「日本の・・・」と直さずにいたらまた「我が国の・・・」と直され・・・ナショナリストと大学でマルクス経済学を学んだ部下との、こうしたやり取りは延々続き・・・僕の記憶では、「まあいっか」と僕が折れて、レポート完成となったのでした。

その上司との上司・部下関係は、彼の異動により終わり、2年目からはやはり優秀な、しかし温厚な上司の下で、1年目と同じような緊張感を持ちながらの新人時代を過ごしたのでした。2年の間に仕入れた知識は相当なものであり、また資格についてもいくつか取得しました。何より、勉強の面白さを初めて知ることが出来た予備校時代のように、「勉強する習慣」が会社に入ってからも復活し、社会の事象に関して高い視点で観ることができるようになったことは大きな収穫でした。入社2年が経った頃には、「同期の連中と話しても世の中のことを知らなすぎて物足りないな」と感じるようになり自分より6才位上の人位と話してようやく同じ土俵で話せる、などと(今から思えば不遜にも)考えていたものでした。

ところで入社するときに、自分に課した3つのタブーのことをお話ししましょう。それは、「ゴルフをしない、歴史小説を読まない、カラオケをしない」と言うものです。今で言う「KY」の確信犯ですね。ゴルフをして自分が偉くなった気でいるのも嫌だし、自分としてはサッカー(一応、今でもサッカーの現役、ということになっています)やテニスのようにお金がかからず激しい運動の方をやっていたいし、「面白すぎる」歴史小説ではなく、海外文学だとか読むのが辛いけれど実社会とは少し隔絶したところで自分を見つめたりしたいし、カラオケで自己陶酔するのも、そういう人を見るのもやりたくない・・・という、つまり「イージーには流れない」という気持ちからのタブーでした。今でこそ多少選んで歴史小説は読みますが、ゴルフはせず(今もサッカーやスポーツジム愛好家です)、カラオケも何年も行っていません。同僚と飲みに行くのも送別会とか忘年会といった最低限だし、二次会などもっての他で、帰宅するか、友人たちと会ったり、ということを励行していました。流されるのではなく、とにかく会社に左右されることなく意識的に自分の人生を生きていきたい・・・それが自分の気持ちであり、何かをしたいけど、それが何かわからずに、大学を出て何となくサラリーマンになった人間としてのささやかな反逆であり、矜持みたいなものだったのかもしれません。上記の3つのタブーを守る、付き合いの悪い宇宙人であったことから、これまでの36年間の社会人生活で、とにかく「時間」をたくさん手にすることが出来たし、「社畜」とは全く違う道を歩むことが出来ました。サッカーでも、若いころから各年代の代表に選出されて一流のコーチの言う通りにして結局フル代表には行きつけない過剰適応の「エリート」よりも、人の言うことを聞かない中田秀や、ドリブルを極めて一流になった香川などのように自分の頭で考え、自分のやりたいように生きた人間の方が大成することも多いようです。まあ僕自身は大成したわけではありませんが、自分をある程度貫いてきただけに悔いのない楽しい半生を生きさせてもらった、とは思っています。

それにしても、まだ社会人になったことになり学生の皆さんは驚くでしょうが、社会人、それもビジネスパーソンは本当に「勉強しない」のですよ。今、朝の通勤時間の電車でビジネスパーソンがどう時間を使っているか、良く見てみましょう。トロンとした目で眠っているか、携帯でゲームをしている人が如何に多いことか。恐らく1日で一番脳が柔軟に動く貴重な時間を無駄に使っているとしか思えません。僕のように必死に日経新聞を読んでいる人間など、1両に他に一人いるかどうかです。もちろん日経新聞が一番素晴らしいとは思いませんし(もっともっとレベルの高い人たちは、新聞なら海外のクオリティ・ペーパーを読んでいますし、ネットで効率的にもっと深い情報を入手しています)、そもそも満員電車で日経新聞を立ち読みするのはスペース的にかなりシンドく、強い精神力が要求されます。しかし、朝刊も夕刊も、平日も休日も、夏休みの分も・・・36年間基本的に全ての記事を(斜め読みも含め)読んできた人間としては、新聞を読まない人は貴重な情報収集のチャンスをみすみす逃してしまっていてもったいないなぁ、と思うのです。良く学生に言うのですが、「1日の日経新聞には親書1冊分の情報が詰まっている。1年間で365冊、10年で3650冊、36年では約1万冊の新書」ということになるのです。継続は力なり最初は「点」である知識は「線」に繋がり、いつしか「面」として知恵になっていくのだと思います。日経新聞を読んでいるは僕だけではありません。金融関係の人は大体全部読んでいますね。自分の業種にさしたる技術もビジネスモデルのない金融業は、インターミディエイター(媒介者)として、世の中のことや他業種のことを知らないと商売にならないという面があるからでしょう。

また脱線してしまいました。ビジネスパーソンが勉強をしないという話でした。大企業などでは、まだまだ社内の同僚と昼メシ食べて、夜も結構一緒に飲みに行く、ゴルフもやるのは会社の人、ということがあるそうです。夜飲みに行って、会社への不満、噂話、いつも同じ話題・・・グローバルな競争を行っている今、こんな社員はいずれスポイルされてしまうでしょう。僕は若いころは、大企業にいてもランチは出来るだけ同じ会社でも違う部署の人、そして社外の友人たちと一緒することにしていました。ランチ時も週に一度は社内で勉強会を主宰し、時々は社外の友人たちにその勉強会で講演してもらったりしていました。そんなことをしているともちろん人材育成にも貢献するのですが、情報収集、人脈作りと言う点でも大きな財産を築いてきたように思います。

 

さて、そんな風に2年間が経ったとき、「ロンドンでの研修」の話が突然降ってきたのです。この話は次回。

 

※上記に出てきたスパルタ上司とは、その後も何度か関わりがありました。25年前に起こったあることも、僕のビジネスパーソンとしての進路に大きな影響を与えたこともその一つです。その進路変更は、その後一つの会社の枠に収まらない見ようによってはエキサイティングな人生を歩むことになった最初の契機だったのですが、1年目の本気の育成努力、勉強し続ける習慣を授けてくれたことと同じように、その出来事について元上司に感謝している次第です。

人間の一生って色々あり、だから面白いのですよ。

episode3  突然の「ロンドン研修への指名」

埼玉工業大学 人間社会学部情報社会学科 教授 小寺 昇二

最初に、前回「付き合いの悪い宇宙人」自賛とか「朝の通勤電車でトロンとした目で寝ている人」批判とかに反応された方も多かったようなので、「会社の同僚と飲みに行くこと」や、「朝の通勤電車での睡眠」の是非について、少し解説しておきたいと思います。

前者について、僕は「今いる会社が、あなたが会社を退職するような年まで安泰で、そこで退職するまで絶対に働いていくのだ」という強い確信があるなら、毎晩のように「社内営業」に専心するのも悪くはないとは思います。要するに、「自己啓発」とか「社外の人とのコネクション構築・維持」という(僕に言わせれば非常に大事な)「チャンス」を捨てて、社内浮遊術に全てを依存する道を選ぶのか、という選択肢の問題なのです。但し、このベット(賭け)は変化の激しい現代企業社会ではリスクの大きな選択となる可能性が高いでしょう。会社という大きな看板を捨てざるをえなくなったときに、「ピン」であるあなたが何が出来るのか、それを若い頃から準備していくことが、企業社会でのサバイバルと言う点では大事だと思うのです。昔、部下だった人に会ったときに、「会社に入社された日に、小寺さんから『いつ会社から放り出されても食っていけるスキルを築いていけ!』と言われたことにビックリしました」と言われました。僕がまだ20代の頃のことだったようです。彼にそんなことを言ったことは全く覚えていないのですが、そう言ったということは、20代から自分自身常にそう思って仕事をしていたということなのだと思います。

後者の「通勤電車」の方は、明確に「寝てる場合じゃないよ」と言いたいところです。お金をもらっている、つまり「プロフェッショナル」なビジネスパーソンたるもの、前の晩から体調を整え、世間の動きに朝から敏感に反応し、フレッシュな頭で仕事に臨んでその日に行うことの作戦を立てていないなら、僕に言わせれば、会議で一言も発言しない輩と同様に、「給料泥棒」ではないかと罵倒(言葉がキツくて失礼)したくなるところです。

 

さてさて、それでは本題に入ります。2年間に渡る目の回るような修練のことを書いていたのでしたっけ。2年が経ったある日、会社内の事情通である先輩(後に常務に上り詰めた人格者)から、ポロっと「小寺、ロンドンに派遣されるんだね」(寝耳に水で「え!?」と反応)、「何だ、まだ知らないのか、言っちゃあいけなかったな(笑)」と言われたのです。

状況を多少客観的に記述すると以下です。

僕が社会に出た1979年以降、1980年代というのは、技術力を背景とした貿易収支の黒字拡大によって日本中が豊かになり、保険会社にも大量の資金が入って来る一方、保険料を運用する対象であった企業への融資が企業側も資金が潤沢であったため先細り(考えてみれば当たり前ですね)になったため、金利の高い外国債券(モチ、為替リスクがありますが)や海外不動産への大量の投資が必要になってきたのでした。ところが、それまで実績のあった国内企業融資や日本株投資と違ってノウハウのない保険会社は外国の証券会社と提携したり、人材育成のために職員を海外研修や外国の大学院でのMBA取得のために急ぎ送りだしたと言う訳です。こうした動きは経常収支の黒字がGDPの3%を超えた1985年(後で出てくるプラザ合意の年です。GDPの3%を超えてくると成熟した資本主義国、つまり海外に資産を持とうとする「債権大国」になると当時言われていました)以降1990年代の半ばまで続くのですが、僕がロンドンに派遣された1981年と言うのは、そうした動きの端緒の頃であり、入社2年しか経っていない若造を海外研修に送りだすなどというのは、会社始まって以来どころか、恐らく日本の金融界全体でも稀有なことだったようです。因みに、僕は会社のこうした研修(トレーニーと言います)制度の4人目であり、僕の1年前に派遣された先輩は10歳年上、謂わば「10年飛び越えての抜擢」だったのです。会社としては、全く新しい分野での人材育成には出来るだけ若い人材でなければ対応できない・・・との英断だったようです。

 

客観情勢はかなり勇ましいのですが、イヤハヤ本人的にはエラいことです。と言うのも、外国語は大の苦手、予備校での英語の成績はビリから2番目、大学でも第2外国語のドイツ語を落としまくって2年生になって1年生と机を並べて履修し直さなければならないと言う惨状だったのです。多分、記憶力(特に論理的にではない所謂「クソ暗記」)が超苦手、オウム返しのように反応したりするのも苦手種目であって一度自分の中で咀嚼したいタイプ、つまり外国語不適応人間なのですね。因みに、そんな人間がトレーニーを終えてからは国際投資の最前線で長く働き、2000年以降には外資系2社で働くことになろうとは、人生って不思議なものです。また苦手と言えば「数学」も苦手科目であって高校では微分・積分でギブアップ、そんな人間が(詳しくは書き忘れましたが)最初の仕事がスパルタ上司の下で企業の信用力を統計的な手法で定量評価するモデルのメンテナンスを担当したり、高等数学を駆使した金融商品開発(デリバティブ)の開発マネジャーをやったりと言うのですから、本当に人生は不思議、と言うか人生って苦手なことをやらされるような「意地悪」なものなのだと思います。好意的に解釈すれば、「苦手なことをマスターできるよう」神が運命を仕組んでくれる、と言うことなのでしょうか(笑)。

 

さて、また脱線してしまいました。トレーニーに指名されてからのことを書かねばなりませんね。担当していた仕事をさっさとその時の上司に引き継ぎ、神保町にあるイギリス系の英会話学校(それまで自費で通っていたのは「米会話」学校だったので)に通いだしたのでした。このあたりの自分の気持ちについては、もう昔のことだしほとんど記憶がありません。しかし、そもそもそれまで海外へ行ったことなどない若者としては不安一杯の船出だったのでしょう。頑張れ、昔のオレ!

 

2週間程度の日本での語学レッスンを終え、慌しくケンブリッジにある語学学校に入学し、最初に英会話や国際感覚(要するに外人慣れすること)からスタートすることになりました。まずはロンドンのヒースロー空港に到着し、関係者に挨拶です(会社の関係者としては、会社で現在会長を務めるSさんだけが一人、駐在として活動していました。空港に迎えに来てくれたSさんがどれほど頼もしく見えたことか・・・)。

 

当時のイギリスは「鉄の女」と呼ばれたマーガレット・サッチャーが低迷するイギリス経済にオオナタを振るってブヨブヨに肥満した古き大英帝国を締め上げている時期です。今でこそイギリス経済はそれなりに復活して国民は豊かになっていますが、当時はとにかく暗く陰鬱なムードがイギリス全土を覆っていました。肥大した労働組合と対決するサッチャー、地下鉄は旧きヤニと埃にまみれ、ストが頻発、時にはIRA(アイルランド民族主義者の私兵組織)による爆弾テロがロンドン市内で起こるといった物騒な社会情勢でした。スーパーに買い物に行っても品物の種類は少なく、商品のデザインも垢抜けていないバカでかい、使いづらそうなものばかりで、「これが没落する大英帝国と言うものなのか・・・」と妙に合点がいったことを覚えています。そして何より女性のファッションには呆れかえったものです。昔の日本のドテラって皆さん知っていますか?寒いロンドンでの防寒のために綿(当時はダウンなどという便利なものはありません)がドテっと入ったデザイン制ゼロの分厚い半コートです。元々世界的に見れば太って可愛げのないと言われる(僕が勝手に言っているわけではありません)イギリス女性の服装のセンスに無さは驚愕ものでした。折しも在英中に今は亡きダイアナ妃とチャールズ皇太子の婚礼が行われたのですが、あのダイアナ妃と一般のイギリス女性の落差の大きさこそが、今でもダイアナ妃を懐かしむイギリス国民の心情に大きく影響していたのかもしれません。

 

またまた脱線してしまい、ケンブリッジでの生活を入る前に紙幅が尽きてしまったようです。本当は僕の趣味のサッカー(今でも「一応」現役です)、音楽(大学では、ワールドミュージックと並んで当時流行ったパンクロックが好みでした)や海外文学(イギリス人であるアラン・シリトー作品群は大学の頃の愛読書でした)も交えて書こうと思っていたのですが・・・。それは次回のオタノシミ、にしたいと思います。

episode4  「ロンドンでの研修」

埼玉工業大学 人間社会学部情報社会学科 教授 小寺 昇二

  最初に読者の方からの質問へのお答えです。「その会社では今でも研修制度があるのですか?」という質問があったそうですが、一応僕の若手研修が事故もなく、成果があったと評価されたからなのか(?)、そしてその会社の1980年代の海外投資への傾斜に伴って、海外を含めた社外の会社への派遣研修やMBAなどの留学は加速度を付けて拡大していきました。バブル経済の陰での「アナザ・バブル」ですね。80年代後半当時200人位の新入社員の半分程度は、社外研修や留学をさせてもらった、というとんでもない状況でした。しかし、もちろん「バブルの崩壊」と共に、この人材教育でのバブルも崩壊、90年代は急速に萎みました。その会社を離れて15年も経つので、今の会社の状況は詳しくは知りませんが、他の日本企業と同様に、恐らくほんの少しだけある、という90年代の状況は今でもあまり変わっていないと思います。どう考えても「行き過ぎ」は中長期的には必ず是正されるようです。

イギリスでの1日目のことは鮮明に覚えています。ヒースロー空港のパスポートコントロールに、狼狽してパスポートを置き忘れ、数分後に思い出して取りに戻ると退席していたイギリス人担当者のデスクの上には僕のパスポートがそのまま・・・・。肝を冷やし、「緊張しているな」と自省したのでした。ホテルはパディントン駅の真ん前にある由緒正しそうなホテルでした。ここで覚えているのは当時のロンドン風「ストリップ」小屋です。過度の緊張感を和らげるために(?)入った(のでしょう・・・そのときの気持ちまでは覚えていません)ホテルの真ん前にあったのです。木造りのボックスみたいなところに入り、お金(少額だったと思います)を穴の中に入れると、窓に嵌った木の板が窓の向こう側にいた上半身下着姿の女性によって上に持ち上げられ、怪しげな音楽がかかり、(イギリス人らしい小太りの)女性が体をくねらせる・・・「こ、これがイギリスの『ストリップ』なのか・・・」と唖然とする中、1分位でその女性が例の木の板を窓の上から「ガツン」と嵌めて、はい、これでお終い・・・。その恐ろしくローテクな、そしてサービス精神の微塵もないショー(と言うのもおこがましい)は、これから経験する、That’s UK! を象徴しているような感じに思えたのです。因みに当時のロンドンには自動ドアも普及しておらず、電車にも券売機はなく全て人力での販売でした(地下鉄の場合は、当時まだ力が強大だった労働組合のこともあったのかもしれません)。研修後にシティから東京に出張に来たイギリスのビジネスパーソンが、日本の地下鉄の券売機を使ったときに「Amazing. That’s Civilization!」と叫んだのを今でも覚えています。

翌日、研修先であるThe Bank of Tokyo International 社(今は「みずほ銀行」になっている東京銀行傘下のイギリス証券会社)に挨拶を行うために「シティ」(サッカーの「マンチェスター・シティ」ではありません。ロンドンの金融街です)へ初めて行って、翌日にはケンブリッジに単身向かいました。NHKのドラマで時々再放送のある「ポワロ警部」や、カズオ・イシグロの「日の名残り」に出てくるような全部木で出来ているような(本体部分はさすがに鉄製などでしょうが)怖ろしく古い電車に揺られて、語学研修を行うケンブリッジに、ようやく到着しました。

ケンブリッジと言っても、僕が1か月英語を勉強したのは本当の「ケンブリッジ大学」(単科大学=カレッジの集合体である大学)ではなく、「ケンブリッジ大学エリアにある」語学学校です。水道工、つまり典型的なブルーカラーの家族の家に下宿することになったのでした。セミ・デタッチハウス(煉瓦造りで、2棟がくっついて建てられている家)、家の前の芝生の狭い庭、あまり上等とは言えないイギリス家庭の食事、異常に強い(笑顔をあまり見た記憶がありません)ホストファミリーの奥さん、休日のサッカー中継が唯一の楽しみであるご主人(休日には、必ず芝刈り《ゴルフではなく、本当の芝刈り》をやらされています・・・要するに日本の家庭以上にイギリスの家庭では夫は小さくなっているのです)・・・というイギリスの生活が「満喫できる環境」の中で1か月を過ごすことが出来ました。

語学学校には、主にヨーロッパ各地から、夏休みを利用して勉強に来た大学生がたくさんおり、クラスでは社会人である僕はどうやら最年長でした。ヨーロッパ以外でも当時羽振りの良かったブルネイの王族だとか、色々な人々が集まっていたことを覚えています。その中で今でも良く覚えている2つのこと、共にディスカッションの場面のことをお話ししましょう。

一つは「ホロコースト」のこと。何かの話の流れで、一人の女の生徒が怒りだしました。どうやらユダヤ人で、ホロコーストに関してクラスメートの男性の発言が許せなかったようです。激しい議論になり、突然その女性が男性を引っぱたきました。日本人からすれば「たかがディスカッション」それも英語の勉強のためのディスカッションなのですから、そこまで激高するのは本当にビックリでした。何人かを巻き込んだ怒鳴り合い・・・長い歴史を背負った民族や宗教の重さ、そんなものを痛感させられるシーンでした。

傍観者だった自分も、歴史の重さを痛感させられた・・・それがもう一つのエピソードです。話は「核兵器」の是非についてのディスカッションでした。話は極めて論理的、即ち核兵器の持つ抑止力を主張するある男子生徒がリードしていました。年長者であり、唯一の被爆国である日本から来た僕としては、広島、長崎で起こったことについてきちんと話すべきだと思いました。しかしながら、聴き取れない英語でのディスカッションの中で、どう喋ったら良いか考えている内に、このテーマでのディスカッションは終わってしまいました。下を向いて自分が恥ずかしかった、そのときの口惜しさを今でも忘れません。そこで議論していたせいぜい10人程度に対する「君たちは核兵器の悲惨さ、不条理について何も知らないんだ」という気づきを与えられなかったといった小さなことではなく、日本人そのものや日本人が受けた経験自体が侮辱された気がしたのでしょう。

その口惜しさが、30年以上経っているのに、(日常英会話の機会もほとんどないのに)今でも僕が毎日30分はポッドキャストで英語のリスニングをやっていることや(自宅から駅までの往復時間の活用ですが)、また帰国後10年間(でしたか)英会話学校に通ったことの理由の一つでもあったわけです。人間一つの記憶で大きな影響を受けるということなんだと思います。

ケンブリッジでは人が羨むような素晴らしい学園都市の雰囲気の中で、楽しい学生生活を行いながら、国際感覚なるものを磨かせてもらったように思います。「お前が一番上手だから今度も試合に出てくれよな」とおだてられて、ヘロヘロになりながら度々出場していたサッカーでの交流なども記憶に残っています。但し、1か月位では英語力(特にヒアリングとスピーキング)はほとんど上達せず、ロンドンでの研修に突入ということになりました(因みに、英会話において、自分として、ある程度喋れるようになったのは、ケンブリッジの時から15年程度経った90年代の半ば、聴けるようになったのは最近、というのが本音です。英会話上達の道は決して楽ではなく、僕の場合は特に荊の道だったように思います)。

さてさて、次回はロンドンでの研修から始めますが、実はこのコラムで書きたいことはあんまりありません。何を書くかはこれから考えますが、もしかすると、ロンドン研修よりもずっと面白かったニューヨークでの研修にすっ飛んでしまうかもしれません。

若い読者の皆さん、「若い時期の経験は一生もの」と言いますが、僕の口惜しかったディスカッションの話で、そういう実感を感じてもらえたでしょうか?「若い時の苦労は買ってでもしろ」とも言いますが、皆さん、色々行動したり、チャレンジしたりしていますか?恥かいたり、口惜しがったり、泣いたり、怒ったりしていますか?