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教養論文の書き方を教えてください。

公務員試験には論文試験、論作文試験、作文試験、エントリーシート試験の4つの種類があります。

多くの受験生は、この4つの言葉に違いがあるとも思わないでしょう。

しかし、公務員は「文字を大切にする」社会ですから、「論文」と「作文」が違うのは当たり前と考えます。

「右」と「左」が違うように、「合格」と「内定」が違うように、文字が違えば意味が違うのは当然です。

論文は、論理的な文章。

論理の代表は、判断推理で出題されるような「三段論法」が代表的です。

法学部に入学すると、「法的三段論法」を習います。

刑法199条は「人を殺した者は、死刑又は無期若しくは五年以上の懲役に処する。」

法の適用とは

Aが人を殺した

人を殺した者は、死刑又は無期若しくは五年以上の懲役に処する。

→Aは、死刑又は無期若しくは五年以上の懲役に処する。

という三段論法によって行われます。これが法的三段論法です。

三段論法は、「人を殺した」という部分を「つなぎ」にして、Aと死刑をつなぎます。

「三段」は、上のように3つの文になることを示し

「論法」とは「論理的な方法」の略で、「つなげる」ことを示しています。

このように「論理」というのは「異なる概念」が「つながるための根拠」を「示すこと」と言って良いと思います。

そして、論文は、様々な「主張(概念)」を「根拠を示しながらつなげる文章」と言うことができます。

「私は環境を守りたい」という主張は全く論理的思考が含まれていません。

人類は酸素を呼吸して二酸化炭素を輩出する生き物だ

二酸化炭素から植物は光合成で酸素を生み出す。

酸素を生み出す植物を守らなければ人類は生きていけない。

人類を守るために、植物を守りたい。

というのが「論理的文章」です。

「環境」という「あいまいでいい加減な単語」から「植物」という「より限定され、具体的で、明確な概念」に代わっているのは、

論理的に考えると、「具体的で明確」な文章になるからです。

論文は「しりとり」で「概念」から「概念」へと渡っていく「チェーン」です。「暗号通貨」などのセキュリティとして「ブロックチェーン」が使われるのも、「チェーン」は一義的普遍な構造を作り上げていくことができるからです。

論文は「前提から結論まで」が「一つのチェーン」として、つながり、それが「根拠や証明」によって「誰でもが」「再現可能」である文章と言って良いでしょう。

これが「対世的な文章」として「学術発表」に用いられる由縁です。

そして、この「チェーン」を使えるかが試されるのが「文章理解の並べ替え問題」です。

ここでも「論文」を書くための技術が試されています。

判断推理では、条件を論理的につなげて「確実にいえること」(条件の「チェーン」によってつながる最後の段階)をみつけることで法的三段論法の練習をしています。

数的推理では、与えられた数値から公式と計算で正解を求めると言う「最も精緻な論理的思考」(=数学的思考)が試されます。

空間把握では「気付き」という「論理の入り口を見つけることができるか」が試されます。

資料解釈は、計算という最も精緻な論理思考ができるかを試されます。

さらに英語は、論文発祥の言語(ラテン語族)であり具体的客観的な言語を使って「お手本的な論理構造・論理思考・客観言語」を紹介するためです。

地方公務員の日本文問題は「日本特有の論理の飛躍」を示す「悪い手本」と言えばいいでしょう。

地方→国税→国家一般→国家総合と、日本文の文章がわかりやすくなる(正解が見つかりやすくなる)のは「論理的構造」が段階的に優れていくことを示します。

このように公務員試験は受験生が論理的思考ができるかどうかを試す試験です。

東大入試で文系でも数学の記述試験が課されるのも同じ理由です。

東大の記述試験は「定理→公式→計算→解答」という一連の論理的思考が、論理の飛躍なく、正確に、鎖のように記載されているかどうかを見る試験です。それに合格することが法的三段論法を精緻に理解し、法令を作成するための前提として必要だからです。

論文試験は論理的思考(法の適用・法適用が合理的であるかどうかの検証)ができる人間であるかどうかを測るものさしと言って良いでしょう。

多くの公務員論文試験で「踏まえて」という語が用いられるのは「条件として」という意味で、論理の「チェーン」の入り口を一つに限定する役割を果たします。「入り口が一つだから結論も一つになる。」ことが公務員の論文試験が採点評価に馴染む由縁となります。

たとえば、特別区の令和3年の教養論文では

「東京都の人口減少」「税収の減少」「地域コミュニティの衰退」「公共施設の老朽化」を踏まえる(前提条件)と「公共施設の廃止」が論理的結論となります。

しかし「公共施設を廃止するにも取り壊し費用や跡地(区所有地)の維持・管理費(税金)がかかる」。

「税収減少」を重視すれば「税金を使わないで施設取り壊し・跡地維持管理」をすることが必要になる。

そこで公共施設を民間に売却すれば「税金を使わない」だけでなく「収益」も得られる。

収益を「施設を伴わない福祉事業(民間給付)」の補填に活用すれば「区民のニーズ(税金削減)に即した」対応ができる。

さらに民間企業が事業を承継してくれれば「魅力的な公共施設」に生まれ変わる。

これが「令和3年の教養論文の問題文」を「踏まえた」「特別区職員としての考え」の「論理的帰結」(論文答案)です。

多くの方の論文答案が「税収の減少」を重視していません。

しかし、区民と区役所のつながりは「出資者(資本家)」と「事業者」の関係で、そこにあるのはお金(税金)の関係だけ。

「税金を無視して」公共施設を存続させ、職員を配置して人件費を浪費することは「区の資本家である区民」の中には許せない人もいるでしょう。

会社の「取締役会」に相当する「議会」が役に立たないから全員リコールするということにもなります。

区議会議員選挙は「取締役承認決議」と同じです。

「区」は「法人の一つ」であり「相互会社」に似ていて「出資金(税金)を運用(事業化)して利益(福祉・安全)を区民に配当する法人」と言って良い。

だから「経営的視点」が今の地方公務員に求められている。

「市役所=慈善事業」と考える時代は終わった。

これらの視点が区役所の1類職員(上級職員)になるために必要であることを、この論文問題は示しています。

次に作文は「作った文」という意味ですが「論文」と対峙することによって「非論理的な文章」と考えることができます。

公務員試験では高卒対象や、警察官試験、市役所試験で出題されますので、それらの職員には「論理」よりも「命令服従(非論理的な行動)」が求められるという意味で、論文試験が出題されていないと考えることができます。

警視庁で「論作文」試験が課されるのは、幹部が国家総合職で、論理的に思考する幹部の命令(発砲命令など人命に関わる命令が多い)に服従する職員には法的な論理を理解する能力が求められるからでしょう。

逮捕などの法適用職務(法の執行)に従事するために「法律・命令に対する合理的理解」も求められる。その意味で「作文であるが、論理的な部分があっても良い」ということになるのだと考えられます。

「鎮圧するために相手を暴行する」行為が合法性を帯びるのは、命令が「行為の無答責」を法的に根拠づけるからです。命令服従は職員を守るためにあるのです。

そもそも警察官試験の問題は「どのような警察官を目指すか」など「個人としての想い・願い」という論理とは無縁になり易い内容を書かせるので、論文ではなく、作文試験が課されます。

さきほどの「私は環境を守りたい」も、主張を他人に押し付けるだけで、納得させたり、論理的に説明はしていません。考える基礎にはなり得ないのです。

市役所職員は「ゴミ収集」で「市役所が住民の所有権を侵害している」などと考えないでしょう。

決められた業務をやっているだけで、「民間でできるんじゃね」と思っているでしょう。

しかし、毎週、集積所に集められる「物」は「民法の動産」で所有権の対象です。誰かの所有物なのです。

遺失物でも半年程度の保管で「所有者が所有権を放棄したこと」を認定しているのに、ごみ集積所の「動産」の所有権を放棄した証拠はどこにもないのに、それを市役所は占有し、移転して、焼却する(法的処分)。

こうした法的思考をする必要が無いと考えられているので、「作文」試験なのです。

考えたら、「集積所から少し離れた場所にあるビニール袋」を持ち帰ることが「窃盗の構成要件に該当する」ことに気づき、躊躇して放置すれば、業務が停滞してしまうからでしょう。

「違法」と「違法ではない」との「境界」の曖昧な部分が「住民行政」なので、考えさせることをしない方が良い。という判断かもしれません。

それが作文試験が課される理由。

作文は「字が書けるかどうか」「どんな願望」を持っているかを知るための試験です。

「私は良い市役所職員になって住民のために仕事をしたい」という文には、論理はどこにもありません。ただの願望です。

そして、多くの受験生が書いている、「論文」も「作文」に過ぎないのです。

作文試験で「字が汚く」「誤字脱字」が多ければ、間違いなく、不合格です。

作文試験は「制限時間内に所定の文字数を筆記できるかどうか」「適切な速さで出題された文字数を筆記できるか」「誤字脱字がないかどうか」で採点する「計数的な試験」と言って良いでしょう。派遣会社のワープロ入力試験(筆記速度試験+誤字脱字計測)と同じです。

東京都や特別区など、地方公務員試験の教養論文試験には「下限と上限」の設定があります。

「下限・上限」の制限があるのは「ワープロの筆記速度試験+誤字脱字計測と同じ」ことを包含しています。

「受検者は作文を書いているので、作文試験の基準で合否を決めるしかない。」

「制限時間内に所定の字数を書いた場合に、どの程度の誤字脱字があるか、字の正確性が維持されるかで合否を決める」ことを示しています。

受験生がマークシート試験を「塗り絵」と呼びますが、作文試験は「習字」の試験とでも呼べばいいでしょう。

公務員試験を「そのレベル」に落としてしまっているのは、国語教育が文字を読む能力を育てられていないせいであり、

また予備校で「文字から考えることができない(公務員としての適性が無い)講師」が多いからなのだと思います。

国家総合職、国家一般職の論文試験問題に「字数制限」は「下限も上限」もありません。

国家総合職では「論文と作文の違いもわからない人」は合格できないということでしょう。