公務員試験予備校

公務員教養論文・専門論文試験の合格法

専門記述は論文ではない

 
専門記述試験は、法律のように、定義が決まっているものですし、国公立大学で学習した「入門的知識」が出題されますので、都庁でも国税でも、出題できる問題は限られています。
出題される問題は、「概ね」争いがありませんので議論の必要はありません。知識に従って国公立大学で学習した通りの意義を書けば良い問題です。
特に、会計学は経済産業省の定めた経済産業省の会計準則、企業会計基準に基づいて作成しなければなりません。法律のように、定義が決まっているものですから、箇条書きで知識だけを明記すれば正解になります。
予備校では、「専門記述」試験を「論文試験」と銘打って指導しますが、簡単な知識問題ですので、難しく考えると勉強が遅れるだけです。
  

教養論文は、受験者の思想や指向を測るための試験です


例えば、ワークライフバランスについて出題されると、有休を取ることを奨励しろ、という「休みたい」論調「楽したい」論調の論文を書きます。
しかし、公務は民間よりも定型的で、不規則な仕事が少ない のですから、自分で計画的に仕事をこなせば、有休は容易に取れます。産休すら難しくない。
ここで述べなければならないのは「ワーク」が「ライフ」においてどのような意味を持つか、さらに公務が「単なるワーク」ではなく、全体の奉仕者として社会に貢献する仕事であることを念頭において、
「ワークの意義」と「ライフの意味」を理解しているかが試されています。  
ただ、楽だから、休みたいからという税金泥棒のような人間を公務員にするほど、役所は人材に困っていません。
受験生の99%が「ワークライフバランス」を深く考えていない、浅知恵でモノを考える人間だから、そうした人間を排除するために、「ワークライフバランス」が出題されていると言って良いでしょう。  
それもわからず、択一ばかり勉強していても、合格は難しいでしょう。
  
本校では、指導時間の70%が論文対策と面接対策です。面接対策は正確な「役人言葉」を話せるかどうかの試験ですから、論文で「役人的論文」が書けるようになって初めて面接練習をする段階になります。  
論文勉強は択一の2倍程度の時間が係ります。択一が3か月なら、論文は6か月。面接は話し方練習ですので1か月程度。論文でモノの考え方、単語の選び方がわからないうちに話し方を練習しても意味はありません。
  
  

面接カードは上申書です。適当に書いているから不合格になります。


上申書とは 「官公庁や警察などに対して法律に基づかない場合の意見や報告などを行うときに用いる文書」です。  
 この記載内容によって受験者の合否を判定します。面接には口述試験と面接試験がありますが、口述試験は「適切な語彙で事実を説明できるかどうか」が試され、面接試験は「面接カードによる判定」だけです。
 面接試験で皆さんが発言するのは、面接カードを書いた本人であるかどうかと、その内容について、正確に認識しているかが主です(本人同一確認)
 面接カードに事実と異なる記載や誤解を生むような記載があると、面接官が事実の詳細を確認します。これは文章が不正確だからですので、質問されればされるほど、面接カードが信頼に値しないことを示していると言って良いでしょう。
 「面接カード」を適当に書いて「質問させる」という指導法は間違いです。
 
 役所は「文書社会」です。口頭での発言は記録に取れませんので「合格処分」の根拠とはなりにくい。文書をいかに正確に書き、意図を正確に伝えられるかどうかが試されるのが面接試験です。
 
      

公務員試験の論文・作文・小論文・論作文とは

論文試験は、試験によっては「合否のみ」の判定となっているところが多い。それは、「他の試験が合格点でも、論文がダメなら不合格にできる。」という「採用側の不合格切り札」であることを示しています。
また、特別区のように、2問のうち書きやすいものを書きなさい。的な問題もあります。これは配属に関係します。具体的には1問で合格者の半分ずつが割り振られるという感じです。例えば、貧困で書いた人が多くて、その人たちの得点が高ければ、貧困では50点採っても合格できない。「住民理解」で書いた人が少なければ、30点でも合格できる。そんな具合です。
社会福祉の専門職である福祉職を採用しているので、社会福祉が好きな受験生は福祉職を受けるべきで、行政職では採用できないということの顕れです。
さらに皆さんが大学で書く「論文」は、「子供のシュプレヒコール」のように視野の狭い、一つのことばかりを主張し続ける、文書に見えます。
まず、ダメな点は、「答案」だということを忘れていることです。
大学教授の言っていることに「賛同」することだけでいい成績を採れたとしても、「中立性」が最も重要である公務員行政職に採用されないことは明白です。
それに私立大学教授は、皆さんから「授業料」をもらっているので、「卒業させる義務」があります。
皆さんが大学で出す、論文答案に対して、教授は「お金」をもらって採点しているのです。
このように、皆さんが「好き勝手」なことを私立大学で論文答案に書いても、「年間数百万の授業料」と、「早く卒業させて厄介払いしたい」という教授の思いが、皆さんの「ダメダメ論文」を「合格」とさせているのです。
しかし、公務員試験では、そんな「甘やかす」ようなことはしません。
国公立大の教授が、自分の大学の学生と同様に、厳しく、審査します。それは、「この試験にパスすると、我々の税金を与えることになる」ことを知っているからです。
「汚い字」「何を書いているかわからない」「宗教団体みたいに、倫理・道徳の臭いがプンプンする。」「自分の価値観が正しいと思い込んで、それを住民に押し付ける地方公務員になりそう」
そんな答案を書く人に「税金を渡す気になるかどうか」を考えて見たら、「答案をどのように書くべきか」はわかると思います。
採点者は、皆さんに税金を与える立場の人間。私立大学教授のように「皆さんからお金をもらっている人間」ではないのです。
国民、住民の血税を渡す価値があるかどうか、が、一番よくわかるのが論文なのです。
さらに、論文試験は論文用紙に皆さんが書いた内容が残りますから、客観的な証拠として残り、皆さんが後で不満を言っても、「これ、この通り」と配属や評価の根拠となったことを説明することができます。
このように、論文試験は公務員試験では「不合格」の“切り札”となるのです。
「面接で落ちた」と思っている人の大半は論文で落ちた、ということになっていると思います。
また「論文」を1種類と思っていると不合格になります。
国家総合職や司法試験で課される「論文」は、国家行政、国家司法の考え方を踏襲している人に「合格」が付きます。「判例の考え方」「国家行政の立ち位置」がわからない人、わからない教授に支持している人、「国家司法」「国家行政」に反対する立場の人、に「国民の血税」を使って「司法修習」を受けさせたり、 国家司法の範として「国民に不利益な判決・処分・裁定」をする権限を与えることはできません。また国民の血税を与えて、国家行政の職員として重要な任務に充てることもできません。
東大生が、国家総合職、司法試験に合格しやすいのは、その学習環境に違いがあるからです。大学の教授に違いがあるからです。学習したきた環境において「国家司法・国家行政」に反対することは、自分たちが学んできたのが国民の尊い税金のお陰であることを少なからず認識しているからです。
また、国家一般職では、文書や資料・グラフ・図などから、論点を見つけて文書化する能力が試されます。そもそも、何を論点にすべきかを見つけるのが、国家一般職の仕事だからです。
国税専門官や東京都の「専門記述試験」は「論文」というより「記述試験」と言って良いでしょう。確定した知識を正確に、記述する試験ですので、「議論の余地のない」知識を正確に知っているかどうかが試されます。
地方上級では、地域の政策課題、経済問題、地域の人口問題、発展の為の課題と障害となっている事由、など、地域住民であれば、本来気付くはずのことを質問します。
県立高校を卒業後、地元を離れて、東京・大阪などの大都市圏の私立大学に進学して、「大都市かぶれ」になって戻ってくる人間を求めているのではないということでしょう。
地元の発展を第一に考える「若い力」かどうかが論文で試されます。
少子高齢化なんて、ことより、「流入人口を増やす」「地域の観光を発展させ、移住者、雇用を促進する。」などの視点ができていなければ、上級職としての採用は難しいでしょう。
弱小地域の政治と行政は「おカネ」がなければ住民を幸福にできません。
人によって「幸福」の形、意味、姿は違います。だから、政治と行政が、国民、住民に与えられる「幸福」は「お金に換算できる幸福しかないから」なのです。それがわからない「理想主義の若者」は公務員になる価値はない。
「貧困」「差別」はどちらも「富裕層」が原因となります。ならば、全員が「富裕層」になれば、「差別」は「価値観の違い」として「対等に処理」されます。
「21世紀」の日本では、お金こそが「幸福の最大公約数」なのだと言って良いでしょう。それを実現するのが政治と行政、そして公務員の仕事だと言って良い。
その価値観は「択一」なんて「過去問を10年分20回反復すれば合格できる」試験では測ることはできません。
「模範答案」(=予備校のダメ答案)を覚えて書けばいいというのもダメ。採点者は「あ、これ、さっき見た」と気づきます。
地域によって、行政課題は違うので、予備校の模範答案では通用しない。
自力で、普段から、行政課題について考えていなければ、合格はできないのが地方上級です。
今は論文が「公務員試験で合否を決める科目」になっていると言っていいでしょう。
公務員になりたい理由も、考えられないのでは困ります。地域の行政課題や、様々な地域実情について、勉強するのが、本校の論文指導です。そして、それがそのまま、面接指導に直結するので合格率が高いのです。

論文試験は択一以上に合否に影響します。
  1. :論文は民間のエントリーシートと同じです。トヨタ自動車に就職したければ、「家の車は昔からトヨタです。外車や本田は買いません。」というように、企業の商品や経営方針を褒めることが必須条件です。それと同じ機能を持つのが論文試験です。
  2. :ただ、論文は事前に準備ができない「不意打ち」の質問ですから「本音」「よく耳にする議論」「マスコミ報道」をつい書いてしまう。それが「落ちる原因」
  3. :公務員の専門記述や教養論文では受験生がどういう教員に指導を受けたかわかります。ワークライフバランスならワーク重視かその逆か。労働基本権なら「詳しいか知らないか」。
    (私立大学や筑波大学などでは現行憲法(=公務員の社員規則)に批判的な教員がいるのでそうした教員の指導を受けた人の論文は簡単にわかります。また偏差値の高い筑波大学(旧高等師範学校)や広島大学(旧文理科大学)でもキャリア官僚として採用されない理由は「大学の設置目的」が「先生を育てる大学」「教育の総本山」だから「官僚は受からない」のです。教員と公務員の二股は国家予算の無駄遣いにつながるからです。)
  4. :予備校も同じです。予備校の論文指導をする講師や模範答案はその予備校の姿勢を示すので所謂社会保障重視が多い。「昭和の講師」は社会保障重視なので予備校答案をそのまま書けば社会保障重視の学生とみなされます。
    (ただ、現状の国家予算の福祉予算は防災やコロナ対策などを圧迫していて、増税しなければ予算不足になって37兆円も国債発行しなければならない状況です。)
  5. :「福祉充実には税金が必要、税金増やすには経済成長が必要」という理屈がわかっていない人は、今の公務員試験には受からない「昭和の大学生」です。昭和の時代は福祉も整備されていませんでしたが、今は、コロナワクチン以外で整備されてない福祉はありません。寿命も延び放題です。
  6. :「福祉に不足している」のは「オ・カ・ネ」。
  7. :公務員の仕事は、福祉に使う「税金」を増やすこと。企業の経済活動を促進して「税金を増やす」「グローバル経済に打ち勝つ強い企業を育てる」「多様性を促進しグローバル社会に対応する」「女性の社会進出を促進し、日本の女性蔑視を解消する。」 これが今の公務員に求められる職務です。
  8. :大手予備校の「昭和の講師」たちは「昭和の時代の法律論や政治論を展開して」いるだけで、今の国際社会やグローバル経済を知らない。
  9. :それが皆さんが書く「昭和の模範答案」になっています。だから落ちる。
  10. :論文や面接は「書けばいい」「話せばいい」というわけではなく「公務員としての考え方」ができているかどうかを判断する根拠・証拠となります。これができていなければ「思っていた仕事と違うので辞める」という不幸を生みます。
  11. :面接は「言った言わない」になりますが論文は物証ですから採用の「客観的根拠」となり、「早期退職=税金の無駄遣い」を食い止めるための根拠として重要です。
  12. :字数を気にしてばかりいる受験生が多いですが、国家一般では問題文に「字数」に触れている記載はありません。
  13. :無駄に汚い文字で意味不明のことをダラダラと並べられて「字数を稼いでも」評価は下がる一方です。白紙の方がまだ綺麗でいい。紙を汚すような論文は、論文ではなく「鉛筆の無駄遣い」。内容が酷くても「読んでもらう」という姿勢が見れれば、まだ「救い」はあります。
  14. :ほとんどの受験生が習っている論文はほとんど「ダメ論文」。「みんなでダメ論文」なので「救済」で合格してるだけです。「救済する価値のある人」が合格するのが論文試験です。
  15. :教員が「政府とかけ離れた憲法解釈」する文系私大は多い。学問の自由があるのは大学だけ。公務員には「学問の自由」はありません。公務員に適さない学問内容の大学で学習すれば判例無視して勝手な解釈する教員の「教え」に染まるでしょう。それは公務員が「憲法順守義務」があることに反します。大学の教育内容によって公務員に受かる大学と落ちる大学は決まります。
    偏差値が「極端に高い」のに、公務員合格人数が「極端に」少ない大学は多い。早慶マーチ(明大以外)より日大の方が公務員合格者が多いのは「私立大学の教授によって学問の自由の捉え方の違いが大きすぎるから」と言っても良いでしょう。
    「子供に受けの良い」授業=「マスコミ的な論調の授業」ほど、公務員にはなりにくくなる。就職に良さそうな教授ほど、バランスの取れた授業=「批判と賞賛のバランスが取れている」授業になっています。
    そんなに日本の行政・政治がダメなら、世界で3位の経済大国になるなんてあり得ないでしょう。その大前提に気づかないのが子供の証拠です。子供は公務員にはなれません。
  16. :論文で書いたことと自分の志望が一致しない人が非常に多い。社会福祉にすごく詳しい論文を書いておいて面接では「街づくりがしたい」なんて言行不一致も甚だしい。
    「街づくり」はカッコいいからって子供の証拠です。
    「良いことしたいから福祉」ってのも子供の証拠です。
    「高収入を目指す=高額納税者を目指す。」
    「起業家を目指す=多くの従業員の雇用を守る責任を果たす。」
    予備校で、社会の何もわからず、子供じみたマスコミ的批判を繰り返せば社会が良くなると思っているなら、それは間違い。
    働いて、税金を納める。多くの困っている人の為に、たくさんの収入を得て、多くの価値を生み出し、労働生産性を高める努力をする。それが公務員となる人間の基本的な考えです。
    論文は予備校の模範答案丸暗記。それで受かると思っていること自体公務員を舐めていると言って良いでしょうね。
    「点数取れば、公務員になって楽ができる」と思っている人には、本校は向きません。
  17. :択一高得点で一次不合格になる特別区・東京都受験生は論文と志望が一致しない。特別区では微妙に志望がわかるような二問の論文を出題して受験者の書きやすい方を選べる形式でこれが受験者の本音を調べる機能を持つ。
  18. :予備校で習った論文でも、大学の教授が「昭和の教授」でも、福祉オンリーの「子供じみた」論文でも、合格できるのは「99%の論文答案が不合格」だから「救済」されているだけです。だから「字はキレイ」に書きましょう。それだけで、試験に真摯に向き合っていることだけはわかります。これは司法試験も同じです。
「択一で満点取っても」「論文で簡単に落とされる」というのが、公務員試験が「能力試験」ではなく「採用試験」である証拠です。
大阪府 論文問題を参考に解説
道路・港湾・河川などの社会資本は、現在及び未来の国土・地域を形づくる礎であり、長期間にわたって、幅広い国民生活や社会経済活動を支えています。社会資本は、高度成長期を経て、成熟社会を目指す中で、その時々の社会経済状況に応じ、我が国の発展を支える基盤として脈々と積み重ねられてきました。
 これについて、次の(1)から(3)の問いに答えなさい。

(1) 社会資本の例を一つ以上あげ、その社会資本を整備することにより得られる効果について、述べなさい。
(社会資本として何を挙げるかで、あなたの配属先が決まります。)
(2) 我が国の社会経済状況の変化をふまえ、社会資本を整備する上での課題を述べなさい。
(課題として何を挙げるかで、大阪府の行政を理解しているかどうかがわかります。)
(3) 今後の社会資本整備をどのように進めていけばよいか、あなたの考えを述べなさい。
(社会資本整備の進め方で「予算の捻出法」を挙げられない人は、机上の空論を言う人と考えられ、行政の中心に配属されません)
(この出題内容から、福祉を重点政策と考える人は大阪府には合格できないことがわかります。都道府県では福祉は下位の自治体の予算統制が主な業務ですし、福祉で課題はないということでしょう。税収が不足すれば福祉はできないということがわからない人は大阪府には不要ということです。)

論文試験の間違い


皆さんが書く論文は、こんなやつ↓

この文章で「言いたいこと」がわかるなら「神」 
文章理解で、正解を見つけることができない受験生が、これで「言いたいこと」が伝わると考えるから「不合格」 
中学の国語教師が、石川啄木の小説を読み聞かせて「啄木の言いたいことは〇〇だ」って言ったとき、私はこの教師は「うそつき」だと思った。それ以来国語教師を信用したことはない。
国語教師の言うことに納得できる人(=国語の成績がいい生徒)は公務員試験には合格できない。
「教師を信じる生徒にいい成績が付く」の典型が国語。
でも、それは学校の先生の強制的な刷り込み教育だから、公務員試験には通用しない。
「誰が読んでも、皆さんの言いたいことが伝わるような文章」が書けないように日本人は教育されているのです。
↑のような論文を「模範答案」として指導する大学教員や、大手予備校、国語教師、ネット記事に大大感謝。お陰で本校の受講生は、らくらく文章理解も満点とって、論文も高評価となり、早慶や国公立に勝って公務員になっています。
論文とは「論理的に表現された文章」です。
  1. :↑の文章は、日本的な「内容が曖昧な文章」です。日本人特有の「曖昧で、何を言いたいのかわからない文章」ということで、世界標準の「論文」としての「明確性」(内容が誰でも明瞭に理解できる性質)が備わっていません。
  2. :その理由は「言いたいことを順序だてて、対比しながら」書かれていないからです。論理的な思考に基づいて内容の真偽や主張を判断するだけの材料を読む側に提示していないことが原因で「ボンヤリ」とした曖昧な文章となっています。これでは「言いたいことが明確にわかる文章」とは言えません。
  3. :論理とは「順番・対比(異同)」です。論文とは、この「順番・対比」を利用して表現する文章です。
  4. :人間は、複雑な手続きや、概念を説明する際「順序立てて」「対比しながら」「異同を明確に示して」説明します。サルの進化を確認する実験で「順序・異同」を確認するテストをやりますが、サルには「順序」や「異同の識別」はできない。順番を付けられない、同じ・違うを対比できない文章は論理的な文章とはいえません。
  5. :つまり、論文は「論理」によって誰でもが内容の真偽・主張を容易に判断・理解できる文章でなければなりません。そのために論理的思考をする人間なら誰でも容易に理解できるように、論理的な表現をしなければなりません。そして、文書社会の公務員社会ではすべてが文書で管理されますから、公務員が書いた文章が「一義的」「客観的」な内容を明示する「論文」である必要があります。↑のような曖昧な文章は「何と何が対比され」「何が先で、何が後(論理的主従関係)」かを推察するしかありません。人によって推察の巧拙がありますので、人によって↑の文章の意味を理解できる人とできない人がいる結果となるので「一義的」でもないし「客観的(誰でも容易に内容が把握できる)」ものではない。(内容がわかりにくいから文章理解の問題となるのです。)
    このような「主張が曖昧な文章」が、多いのは、日本人が「差別」を好む民族・社会であることに由来します。文章を書く人間が「わかるはずだ」「わからない奴はバカだ、国語力がない。」と考える、国語教師の思い上がり(上から目線)に由来しています。
    1. :日本人はそもそも同じ考え方(常識)を持つという幻想に立って学校教育をうけますが、それはサルの「群れ文化」と同じ。「違う考えのモノ」は群れから追い出すという「差別文化」「虐め文化」「村八分文化」が学校教育で教師によって刷り込まれているのです。 だから「何が書いてあるかわかりにくい文」を「わかるのがあたりまえだ」と教えられているのです。
    2. :役所では、そんな「当たり前」は通用しないので、まともな文章を書ける人間を養成するのに苦労しています。具体的には昇任試験です。
    3. :昇任試験で難関は「資料解釈」と論文です。自治体でも論文指導に苦労しています。東京都の昇任試験勉強会などは、その典型です。何年やっても、まともな論文が書けない。これが地方公務員の実態です。日本の教育レベルの低さが地方公務員の職務能力を危機的状況に低下させていると言って良いでしょう。
    4. :論理思考が欠如した社会=「他人の意見を常識によって封殺する教育」で育ったために、どのように書いていいのかわからない局長級がたくさんいます。霞が関の中央省庁の東大卒キャリア官僚たちは、嘆くよりも危機感を持っていると言って良いでしょう。
  6. :論文で用いられる「論理思考を文章に表現する技術」としては「Ⅰ.1.ⅰ.(1)」のような「大分類・中分類・小分類」があります。これで「同じもの(同じ分類)」と「違うもの(分類内・外の対比)」や「大分類と中分類では中分類が大分類に従属すること」などを表現し、「読者」の対比的視点に判断材料を与えます。「独り善がり」ではなく「誰でもわかる」を意識した表現が「人間とサル」の違いです。
  7. :このように、論文では「順序・異同・対比」を「大分類・中分類・小分類」などのテクニックを使って「ヒトにわかるように」表現しなければならないのです。日本の国語教育は「子供をサルと思って指導する」のが当然という「酷いもの」です。「起承転結」なんて教え方では合格は難しいでしょうね。何が「起」か説明できない大学教授が「念仏」唱えているだけです。
 論文で合否が決まる
特別区の論文試験は、日本で唯一、選択式の問題。この重要性がわからないと不合格になる。
例えば、令和2年(2020年)の出題を見てみよう。
1.近年、これまで人間が行っていた定型業務の自動化や、AI(人工知能)によるビッグデータの分析等、先端技術を活用した業務効率化の取組が急速に進んでいます。一方、これらの取組を推進する上では、コストや情報セキュリティ、人材面等における課題もあるとされており、自治体職員は、こうした変化に対応していかなければなりません。
このような状況を踏まえ、先端技術を活用した区民サービスの向上について、特別区の職員としてどのように取り組むべきか、あなたの考えを論じなさい。
2.近年、気候変動の影響等により大規模な水害が発生しています。また、今後高い確率で発生することが予想される首都直下地震は、東京に甚大な被害をもたらすことが想定されています。そのため、特別区は、地域の課題を的確に把握した上で、区民等と協力しながら、災害に強い安全で安心なまちづくりの取組を積極的に推進していかなければなりません。
このような状況を踏まえ、都市における地域の防災力強化について、特別区の職員としてどのように取り組むべきか、あなたの考えを論じなさい。
2問出題される理由は、受験者に対して「特別区のニーズ」を示す意味がある。本問では、AIを中心とした先進技術について知っている人、住民サービスについて知っている人を1番に誘導し、防災や特別区の行政課題全般について、知っている人を2番に誘導するということ。
これは、簡単に言えば、「これを知らない人、興味がない人は採用しない」という意思表示ということ。福祉に興味がある人は「福祉職」があるのでそちらを受けてください。
これに対して令和1年以前の出題は、 
1. 特別区では、2020年東京オリンピック・パラリンピック開催に向けて、多くの来日が予想される外国人観光客への対応を進めているところです。さらに、国内労働者人口の減少を背景とし、外国人労働者も増え続けています。それらに伴う多様な言語を話す外国人の増加は、地域社会に様々な課題を投げかけることが予想されます。
このような状況を踏まえ、これら外国人の増加に伴い生じる新たな課題に対して、特別区の職員としてどのように取り組むべきか、あなたの考えを論じなさい。
2. 我が国では、今後のさらなる高齢化の進展に伴い、認知症高齢者の大幅な増加が見込まれています。こうした中、特別区では認知症高齢者の意思が尊重され、できる限り住み慣れた地域で、自分らしく暮らし続けることができる地域社会を実現するための様々な取組を推進しています。 このような状況を踏まえ、今後急増することが見込まれる認知症高齢者への対応について、特別区の職員としてどのように取り組むべきか、あなたの考えを論じなさい。
この問題では、外国人観光客、外国人労働者について知識がある人は1、高齢者、認知症など福祉に知識がある人が2、というように、一方は福祉系出題、他方はそれ以外の分野というように、「福祉」が必ず出題される傾向であった。
これは、「福祉に詳しい人」と「それ以外の分野に詳しい人」を選別する意図。従来、地方自治体の中でも、住民行政を担当する下位自治体(区役所・市役所)では福祉担当者の人数を確保する必要が大きかったが、しかし、「福祉職(福祉関連資格保有者)選考試験」を行って福祉分野の専門職がある以上、行政職で「福祉に興味がある人」を積極的(多数)採用する必要性はなくなった。
そこで、2020年度は福祉の出題はなくなり、福祉以外の分野から出題することで、福祉に興味がある人は「福祉資格を取得してから福祉選考試験を受験して欲しい」ということになった。
本校では、福祉を志望する学生がほとんどいないため、従来から福祉以外分野の行政論文を練習してきた。これは「行政事務の中心課題」が人口増加、税収増加にあり、福祉政策自体は行政の「中心的課題」ではなく「税の使い道の一つ」に過ぎないと考える考え方に由来する。
いずれにしても、特別区では1万人の受験生の「志望」「適性」を「面接以外」で簡易に判断するため、論文試験で複数出題をし、受験者の選択によって、受験者の志望動機を探ろうとしている。
予備校で「福祉」中心の論文しか習わなければ、受験者がどんなに「街づくり」「観光」などの志望動機を言っても「適性がない」と判断され「高得点でも一次試験で不合格」になる。
論文試験の重要性はおわかりいただけましたか。択一よりも高度の勉強と練習、そして行政情報を自分のものにするための時間が必要な試験。択一の3~4倍の配点。「暗記すればできる」択一試験より重要な試験であるとわかりましたか? 
本校では20年前から国家総合職試験指導の経験を活かし、一般職試験における試験内容の分析と面接指導を行っているため、他校よりも高い合格率を出しています。高い合格率になる理由は「合格者の数」と「合格者を指導した方針の違い」です。

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