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文章理解 過去問<公務員試験・行政書士試験・センター試験の国語> コツ


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公務員試験の教養試験における科目の簡単な紹介から始めましょう

 科目別の試験内容  


公務員試験の各科目は次のように分類することができます(難易度順に示します)。
1 判断推理:パズル的試行錯誤を用いて解く問題。
2 空間把握:図形の切断や、回転、さらに立体投影図、展開図など想像力を試される問題。
3 数的推理:確率・場合の数、ニュートン算、速さ、√、図形面積・体積など数学的手法を使って解く問題。
4 資料解釈:統計資料を題材にして、資料の傾向分析を行う問題。
5 物理・化学:科学理論に基づく知識を使って計算や論理作業をする問題
6 生物・地学:科学知識を問う問題
7 数学:数学的計算力を問う問題(数的推理に併合される場合も多い)
8 経済原理:ミクロ経済・マクロ経済の計算問題
9 英文理解:翻訳力を試す問題
10 日本文理解:日本語論文の文章構造を理解し、再構成・空欄補充・主旨把握を試す問題
11 時事問題:受験者の社会的関心を問う問題
12 裁判所事務官刑法:刑法判例理論・諸説に基づいて事例・主張を分析し論理的帰結を求める問題
13 経済学:ミクロ経済・マクロ経済における知識を試す問題
15 裁判所事務官憲法:長文判例の見解を理解する問題。判例理論の論理作業問題
16 国一般政治学:希少学説知識を問う問題
17 憲法・行政法・地上刑法・労働法:法律条文と判例知識を問う問題
18 政治学・行政学・経営学・財政学・国際関係・会計学(簿記理論以外):キーワードを暗記して正解する問題
19 社会科学:「政治学・行政学・経済学・財政学・国際関係」の入門的知識を問う問題
20 人文科学:高校までの知識とその周辺知識を問う問題。県庁・市役所では地域風土問題を問うことが多い。

難易度の高い科目=計算や論理操作などが多く、知識だけでは正解できない。
難易度の低い科目=「知っていれば正解できるが、知らなければ正解できない。」
※個別科目の難易度評価は島村講師の経験と個人的な見識に基づいています。
※知識科目でも、推理力や解答術を利用して解ける問題が多い場合は、難易度に差が出ます。
このように、上位10分類のうち9つが教養科目です。このようになるのは「教養科目の勉強範囲が広く配点が低い」という理由が主な原因です。
自然科学は数万年分の知識が出題されますし数学の勉強範囲は膨大です。
これに対して法律や経済、そして社会科学系の学問は人間が作った概念・規範に基づいて考えられ、また歴史の浅い分野ですから知識の量が少ない。高々100年分程度しかありません。
また、人文科学は学説の統一がされずに多数の見解があるため正解にできる知識が少ない。
鎌倉幕府がいつ成立したかも今では「学説上の争いがあるので出題できない」という具合です。中国の歴史もいつまで出せるかは疑問です。
つまり、専門科目や社会科学は、勉強範囲が少ないので楽なのです。
人文では習った「逸話」が正解かどうかはわからない。「過去問を見なければ何が正解かわからない」のが人文科学の実態です。
自然科学の学習範囲と憲法の学習範囲を比べたら自然科学:憲法=1万:1 位です。
市販の問題集のページ数が同じでも、勉強しなければならない範囲は全然違うということに気付けば、合格法は合理的に決まるはずです。
そして、1~8までが数学的技術が必要になる。11~20が暗記で得点できる。この間にあるのが文章理解です。
文章理解は文章を読んで正解が1つに確定できる科目ですが、高校までの学校国語では「先生の言うことが正解」という教え方をしていて「自分なりの考え方」が育たない教育内容となっています。
暗記に近い学習方法です。しかし、都立入試の問題やセンター試験の国語の問題は、論理的に考えて唯一の正解が「誰でも選べるよう」に作られていなければなりません。
誰でも正解が出せる。そして、暗記で正解できるような「誰でも知っている文章」ではない。
ということは、数学のように、論理的に正解が得られる科目でなければなりません。
つまり、文章理解は「日本語」を論理的に分析する能力、つまり論理的思考力があるかどうかを測る試験問題なのです。
では、誰でも正解できる文章というのはどういう問題でしょうか。それがわかれば、正解法もわかるということです。

コツを話す前に、次に書いたことも重要です。

行政書士試験と出題科目が重なる理由

行政書士とは、役所の中で「行政」つまり、〇〇省とか、都道府県庁、市役所などに国民(企業)が申請をする際に作成する申請書類を代理作成したり、手続きを代理できる資格を持った人です。
これに対して、裁判所、検察庁などの司法機関、及び法務省(行政庁)に提出する書類・申請書を代理作成したり、手続きを代理する権限を持つのが司法書士です。
国家公務員の行政職員は職種、省庁によって年数に差がありますが、一定年数を勤務すれば行政書士試験が免除されて行政書士資格を持つことができます。同様に、検事、検察事務、裁判所事務を10年以上経験すれば司法書士試験が免除されます。
これは各公務員の職務と資格内容が連動しているためで、資格試験の内容も行政書士は公務員試験とほぼ科目が重なることになるのです。少し前までは大学法学部の教授を数年経験すれば弁護士になれるということもありましたが、ロースクール制度になったために廃止になりました。
ただ、公務員試験では教養科目として、文章理解・数的処理・人文科学・社会科学・自然科学が出題されますが、行政書士試験では数的処理や自然科学、人文科学は今のところ出題されていません。文章理解も昔は出題されていませんでしたが、法律科目ばかりでは文書作成ができないと困るので、文章理解や政治経済などが出題されるようになりました。 しかし、難易度としては公務員試験よりも低く、得点しやすい科目だと思います。
私の場合、普段から公務員・資格試験の指導をしているので、初回の受験で事前に勉強しなくても合格できました。法令科目の比率が高いので、得点しやすい試験だと思います。


文章理解の過去問・コツ


コツ 1 国語の中の論文だけが出題される
公務員試験の文章理解の文書形式は「論文」です。大学入試センター試験の国語の1問目に出題される問題と同じ分類になります。

 
コツ 2 論文の目的を理解すれば正解がわかる
論文: 言いたいこと(主観的で抽象的な意見:趣旨などとも言う)が正当である・妥当であることを証明するため(又は読者に共感してもらうため)に、その根拠として誰でも容易に理解できそうな事例(具体的な例)を列挙して、作者の主張の妥当性を立証(説得)する形式。


コツ 3 論文の構成が2つに大別できることを知れば正解がわかる
  1. 日本の文系大学出身者が書く論文  趣旨+趣旨に肯定的な具体例+趣旨の言い換え 
  2. 東大出身者が書く論文の構成       趣旨+趣旨に否定的な主張+趣旨に否定的な主張(世間でありふれた見解)+趣旨に否定的な主張の根拠となる具体的事実+ありふれた見解を打ち消す具体的事実(=趣旨の妥当性を根拠づける具体例)+趣旨の言い換え 
論文の構成において①と②の差が生まれる理由は、東大生が何かを主張する(意見を言う)際、必ず「反対意見」「中立意見」「肯定意見」の3つを同時に考え、さらに「反対意見」「中立意見」「肯定意見」の各々の具体例を考え、そして自分の主張に対して「中立意見」「肯定意見」が多いことを確認してから発言するからです。
これに対して、私大生や他の国立大学生が、①のようになるのは、東大以外の文系大学卒業生は入試で数学の記述試験が課されていないため、結果(正解)が出ればそれでいいという肯定理論思考しかできない、課程の正当性・妥当性に疑問を持たない、「自己肯定理由の発見=論理的思考」と考える人間になっているからです。
課程の正当性・妥当性があって、初めて、結論が妥当である。結論が妥当であるためには、課程が正当であるかどうかを吟味しなければならない。この「自らの結論の妥当性を疑うための論理的思考」が数学記述式試験を課すことに隠されている目的なのでしょう。
デカルトの「まず疑え」(方法的懐疑)の視点は数学によって培われる。歴史的哲学者デカルトがその学問体系に一切の人文科学、倫理学含まなかったのは、それらの曖昧さ故であり、数学・幾何学の物的・具体的判明性にあると言って良い。そもそも「科学」とは証拠によって根拠づけられる事実を積み重ね、想像・空想・うわさを排除して立論する点にあり、人文的な伝承や倫理のように偏見を含み無根拠な概念は原始的、非科学的であるとして興味を持たなかったのである。
東大の入学試験では文系も数学の記述試験が必須科目で、東大には数学に限らず、問題を論理的に思考し文書化する能力のある人間だけが入学を許されると言っていい。
東大は国家官僚のトップになるべき人間を養成するために設立された(文3を除く)ので、法律的思考、つまり、法律で規制する(立論)場合に、それによって受ける利益(肯定的事例)と、弊害(反証的事例)の両方を常に考えて、バランスを取りながら立法事実を集めて法案の基礎とする作業をしなければならないからです。
国会答弁で大臣の後ろで、「その場」で答弁を考える際も「肯定・否定・中立」の3つの事案を山ほど頭の中に思い浮かべて、なおかつ、大臣が一読で理解できるだけの「簡単・明瞭な文書(メモ)」を作らなければならないからです。そうした仕事ができる人間を育てる基礎として、入学試験で、国家公務員になれる人間だけを選抜していると言って良いでしょう。 記述試験では「自己肯定的」「一面的な意見しか思いつかない」答案を書く人間を不合格にし、多面的・多様な意見を集約して考量(バランスを取る作業)ができる人間だけを合格させているというわけです。だから京大のように一つの意見に固執しやすく科学分野で功績を遺す人が東大には生まれ憎い(東大に天才は不要)というわけです。
国家行政において「論理的思考」を担っているのが東大卒業生であると言って良いでしょう。したがって、東大以外の学生と東大生の違いは、論理的思考力に大きく表れる。論文の書き方に顕著な差が生まれるということになるのです。これが過去、大学入試から現在まで様々な受験生を指導した私の所見と言って良い。
文系大学生は数学ができなくても大学を卒業できるし、慶応大学など高校1年で数学を辞めてしまうので、立論・反証・肯定という論理思考ができない人間になります。
日本の国語教育は、一定の思想を刷り込むために教科書によって、教師の一方的な思想を押し付けて、それをそのまま「オウム返し」できる学生を育てるのが目的と言って良いでしょう。


コツ 4 論理展開を見れば正解がわかる。
  1. 日本の文系大学出身者が書く論文  自説に拘泥する。反対論証がない。 
  2. 東大出身者が書く論文の構成      自説と反対説の折衷説を採用する。 

国立大学の入学試験であり、私立大学も利用するセンター試験は、学校教育で「偏向的」思考を刷り込まれた学生が受験し「そこそこ」理解できる程度の「論理的思考」で正解できる問題が出題されます。簡単に言えば、上の①のタイプで、なおかつ、文中に「繰り返し言い換えられる結論」を指し示すキーワードがある論文だけです。これがセンター試験の国語における論文です。
地方公務員では、ある程度②が感じられる①の文章が出題されます。地方行政は国家の制定した法律が規制の中心であり、地域の偏向を条例で修正するだけなので、地方行政の仕事においては「起案」+「反証例」+「肯定例」+「起案」という形式がわかる程度で仕事ができます。
したがって、①のような「民間作家の文章」(自分の考え方が正しいと連呼する文章)が出題されます。
国家行政の要である「法を執行する」国家公務員は「起案」「反証」「肯定」「中立的結論」という形式がわからなければならないが、②では簡単すぎるので、①の中から程度の良いものを見つけ、文章形式だけで正解(結論)がわかるのを避けるため(難易度を高めるため)に「内容合致」問題が出題されます。
国家総合職では②が出題されますが、そもそも文章理解程度の試験では、立法的論理思考ができるかどうか判明できないので、東大入試同様、専門記述において、実務で法律の改正や起案ができるかどうかが試されます。
資格試験では立法的素養を調べる素養は不要なので「国家公務員一般職程度」の文章理解がわかればいいということになり、①で「起案」「反証」「肯定」「起案の言い換え(中立的結論)」が「うまくできていないが目指そうとしている」文書と②がそのまま出題されます。
つまり、自説も採用せず、反対説も採用せず、折衷的な見解を結論とする程度の良い文章が出る。そういう思考ができる人間に資格を持たせる意味があるということです。
以上は、文書を書いた作家の大学を見て確認しました。そして「出来の悪い」文書ほど「難問」になります。何故かというと「自分の意見ばかりに拘泥して、反対意見が全くないのに気付かず、どんどん主張を言い変えることを繰り返し、言いたいことがわからなくなっている文章」になっているからです(朝まで生テレビのように)。
だから、センター試験の国語では「ヒント」がある文章が出題されているのです。
国家総合職試験に出題される「東大卒業生が書いた文章」「一部の京大卒業生の書いた文書」は、「起案」「反証」「肯定」「起案の言い換えから中立的結論へ変遷」が明確にわかり、また、一方的な意見ではなく、中立的、つまり「例外があることを意識しつつ、その例外を吟味して導いた結論であることが明示されている文章」であることが一目でわかる。
だから、正解(著者の言いたいこと)が簡単にわかる。つまり正解しやすい問題なので、専門記述、政策論文、そしてグループワークまで必要ということになります。ディベートなんて、自説に拘泥して、相手を潰すような見解を披露する人間は役人には向かないということが多面的に試験されています。文章理解、論文、面接は「一体的」に公務員としての資質を見極め、そして日本人の差別体質を排除していると言って良いでしょう。
東大礼賛ではなく、これが過去問を15年間調べた結果です。
本校では論文は最高裁判例を手本として指導しています。人に死刑を宣告する文章は、説得的で、肯定・反論を法廷で積み重ねた結果について、合理的な思考によって到達した結論を示す文章として、最高の内容であると考えているからです。これがわからないのは日本の国語教育が合理的思考を排除している証拠です。
「役人言葉がわからない」という人は、差別が大好きな人のはずです。例外(×)を認めず、例外(×)を大切にしない教育の優等生。政治家の発言を「切り取って」自分に都合よく報道するマスコミは文章理解ができない。そんな報道を信じる日本人は不幸。

コツ 5 地上・市役所を受ける人は試験別の問題を反復学習して「悪文」に慣れろ。
  1. 日本の文系大学出身者が書く論文を題材にした問題(地上・市役所) クセがすごくて反復練習が必要。 
  2. 東大出身者レベルの論文を題材にした問題(国家一般・国家専門)      自説と反対説の折衷説を採用する。 
  3. 東大出身者が書く論文を題材にした問題(国家総合職)      自説と反対説の折衷説を採用する。 

国民に提供する教育の質を一定にするためには、最低レベルに平均を置くことが教育の平準化になるという「公平・平等思想」で国語教育が行われた結果、日本の評論文学において論理的思考は欠落し、人は多数意見を正解と考え、少数意見を顧みない思考を当然として日常を送る人間になった。 それが日本人が差別を当然(多数意見を正当で少数でいること自体が間違いと考える)人間を育てた原因であり、皆さんが文章理解を正解できない理由です。
ということで、コツがわかりましたか。残念ですが、過去の日本教育を受けた人間の論文が今後数十年間公務員試験の文章理解の問題の文章として出題されるので、①なら作者が言いたいことが「婉曲的(言いたいことが差別であることを薄々感じているので本音を言えずに遠まわしに差別観念を表現して「意味の分からない文章」になること)」に述べられている部分を正解にする。②なら「中立的な意見」が正解と考えて勉強してみれば良いでしょう。
これは、あくまで「理論的な思考」に基づいた立論ですので、例外はいくらでもあります。例外=正論と考えられるようになったら、差別も無くなりますね。
日本の学校教育において、人文科学、国語は、「正解」「〇×」という偏見と差別を生む教育で、日本人にとっては「害悪」が大きな教育内容となっていると言って良いでしょう。勿論、自然科学も、権威主義で他説を寄せ付けない学会が偏見と差別を生んでいるかもしれません。日本は「何でも点数で評価すれば公平だ」として優劣を付け、数値によって差別の原因を生み出すのが好きで、「勉強ができない」のか「勉強する時間がない」のか「勉強することに意味を感じない」のか「教師が下手なのか」を「差別」しない差別教育国家です。
学校教育との「差別化」を進めるために、公務員試験では平成17年から「正解」「正しいものを選べ」という言葉は警察のみになりました(人間に向かって、生命を奪う危険を厭わずに「悪」だと決めつけて発砲するには「正義」の存在と「警視総監に対する無垢の信頼」が必要だからでしょう。)。「妥当なもの」「確実にいえるもの」を選べという言葉によって「正解信仰」が無くなった。さらに「択一試験」結果を論文・面接で簡単に逆転できるようになり、学校での勉強の成績に縛られず「人柄試験」に変容しつつあるのかもしれません。

「中立命題」を考慮し、結論として折衷案を採用しなければならない理由
「法」は歴史であり、人類の思考の変遷を、現代的に短文化した学問である。(以下は国家公務員試験で出題された文章理解・思想・世界史・芸術の問題の内容から推測した文脈です)
その歴史はギリシャ哲学に始まり「万物の根源」というメタフィジクス(アリストテレスの言う「物ではない概念」※ これを形而上と訳したのは日本の学問の犯した過ちでしょう)において、ソクラテスの「無」とプラトンの「有」が対立し、そして、アリストテレスの「折衷概念(中庸・中立概念)」が生まれる。
人間の思考は古代ギリシアの時代に、究極(折衷=互いの立場を理解し協調して考える思考)に到達したにもかかわらず、中世スコラ学が「論理」を「空虚」であり「前提によって結論が変わる思考方法」と誤った風説を流布した結果、折衷概念を「形骸化」させてしまった。この結果、結論がないことが結論である(いずれの考え方も妥当だが、その間に個別の価値を見出すことが進化である)という「折衷説」の素晴らしさ、共に思想を深めてより深淵を覗くという人類の進歩の道筋は近代にいたるまで見えなくなってしまったと言って良い。
アリストテレスの求めた「中庸」はソクラテスとプラトンの人間的な相互理解と、より素晴らしきものを生み出してもらいたいという期待であった。
そして、近代(王、貴族、宗教という絶対的価値観を否定し、価値観の相対性を認めた、つまり、人民は誰でも等価の価値観を持つことに人間が気付き始めた時代。対立する二人の王の間に板挟みになる臣民の価値こそが中庸であるという時代。)の到来によって、国家政府は「中庸を維持すべき」であるとして、「宗教や王権」など「メタフィジクス」であった「権力」を「具体的に見える形」である文書に記し「権力に中庸を守らせた」のが憲法である。
スコラ学の後、人類は宗教と共に迷走し、世界に多くの宗教が林立した時代にデカルトは大陸で生まれ、宗教を疑え、王を疑えと言う代わりに「方法的懐疑」を唱えたのかもしれない。同時期に宗教を具体的な権力行使の方便とした国教会が誕生した英国ではベーコンの経験論(帰納法)が生まれフィジクスからメタフィジクスを逆算する(検証・実験)思想が生まれ、ヒュームの懐疑論が生まれる。
デカルト・ベーコンはともに、人権思想のスタートに位置し、近代のスタートには不可欠な思想。つまり、「客観的に疑え」「証拠を上げて根拠を証明しろ」という二つの科学的思想・実験思想・検証思想を萌芽させたのである。
「信じる者が救われる」というのは現代でも変わらないが、その救済者は「神」ではなく「教会」「権力者」であるから、人はその代償として服従を強いられる。信仰には必ず代償(供物・貢献)が付き物なのである。それを客観的に税金として明確化し、資産に応じて徴収され、その対価として、国家によって警察的に保護されるという契約が社会契約となったというわけで、国民と政府の契約=憲法ということである。
「神」が「教会」「権力者」であるとわかり、権力が「金で買える」ことがわかると、メタフィジクスはフィジクスによって根拠が明確化されていくことになる。「科学の進歩」と「権力の見える化」は同時並行的に進行していると言って良い。
しかし、フィジクスの進歩は人民の期待するよりも遅く、人民はフィジクスよりもメタフィジクスの先行を許し、ドイツではロマン主義・理想主義が誕生し、さらにロシアにおいて共産主義が生まれ、帝国主義・資本主義と対立して「ソクラテスとプラトンの対立」の時代に逆行していくのである。
この時代、論理は対立を激化させ、いずれかの優劣を「流血」ではなく「闘わせる道具」となっていく。これが論理の墓場。スコラ学の時代に「空虚」とされた論理は「対立の道具」になってしまった。
アリストテレスが不在の「東西冷戦」によって、世界は分断され、論理は「深淵を見出す共同作業」ではなく「対立を際立たせる道具」となった。
国際連盟が「理想主義者のカント」の発想であったから国連軍を持たず、現実的な国際連合ですら、武力でなく議論で融和を図れると考えたのは「中庸が果てしない未来にある」ことを見落とした現実であったとも言えます。
大戦後の世界平和に最も貢献しているのは、オリンピック。スポーツマンが世界に諸国の文化・スポーツを交流させ、相互を理解し、お互いが異なることを受け容れ、同じ競技で深淵を目指し努力する姿こそが、まさに「中庸を目指す」具体例として誰でもが興味を持ち、理解し、目指すことができる祭典となった。 人間は学問(メタフィジクス)においては、己が、己の民族が他よりも秀でていることを争い、差別と分断を生み、権威を求めたが、動物としての機能(フィジカル)においては、生物学的な人類の中で、優越した種族は存在せず、ほぼ同列で、わずかな差の違いを争うことしかできないことを思い知ったことだろう。「優劣」は人間の支配欲(メタフィジクス)が生み出した「権力」と同義語なのである。 スポーツ(フィジクス)において、優劣は、偶然の産物(確率論)でしかない。分断も差別もなく、協働して互いの個性の極限値を求める数学的な作業であると言って良いだろう。そこに論理の中庸が存在することは「人間が未だに未開なサル」の段階でしかないことを意味していると言って良い。
そして、コロナ(フィジクス)によって世界が平等に感染させられている今、共に、妥協の産物として「オリンピック」を実現することが「中庸のとりあえずの実現」になると言って良い。アリストテレスの求めた「中庸」が運動(フィジクス)において実現されるという論証がオリンピックなのである。

日本の学問は、そもそも「伝来」「輸入」された思想であり、生物学の「優性遺伝」のように遺伝子に「優劣を付ける思想」は翻訳した学者の偏見によって生まれた産物。 「優性」は「差別的表現であること」が問題になり2017年に「顕性(顕在化する性質)」と「潜性(潜在化する性質)」に変更されたが、優生保護法(1996年廃止)のように人の生物学的特徴に優劣を付ける偏見・差別志向は日本の偏見翻訳者の遺物として社会を偏見差別へ誘導した。 このように日本は「常識の本質」が「差別」であり、「客観的に事実を検証しなければならない」学問をするには日本は適していない。大学は戦後のレッドパージ、東西冷戦、東大紛争、学生闘志、社会の困窮を政治対立、己の「偏見」「憎しみ」「恨み」を正当化することに利用する輩の登場で、日本における大学の学問は対立を際立たせる道具へと変容してしまった。

「対立」の原因は論理ではない。論理のスタートが対立しているから、対立が論理を利用して正当性を論じ合い分断を際立たせているのである。「対立」の根源は「偏見」「憎しみ」「恨み」であり権力志向の人間の思想。「宗教」に近いもの。異なる神を「共に崇拝できない」原始的な人民が、進化を拒む限り、中庸は空虚な理論であり、差別が意味を見出しやすい社会。そこにおいて「論理」は空虚で何も生み出さないもの。
アリストテレスの時代に、既に「お互いを理解し、その考え方を尊重することが、平和と人間の進化につながる」という閃きを見ていた人間は、その先祖である「動物」に「退行」していきやすいものなのだろう。
「中庸・中立命題」は、「プラス」と「マイナス」の間にある「中性子・中間子」であり小柴先生が「あるはずだ」と考え発見に人生を掛けた「深淵」はノーベル賞を生み出した。 「中間」「中庸」。その多様性は無限に広がるもので、人間はその中庸を、その人類の歴史が終わるまで追い続けても到達できないブラックホールなのかもしれない。
「差別」「偏見」「対立」は、道具として中庸を見出すスタートラインとしては有効だが、しかし、それをゴールと考える人間は、楽をして進化しない存在と言って良い。

「妥協の産物」こそが未来を見出す一つの礎となり、新たな「妥協の産物」生み出す。「妥協の産物」という言葉に否定的な意味を込める人間は、進化を否定した愚者であると言える。 「進化」とは変わり続ける「環境」に対応し、己の根源を常に適応させる生物の対応力ということができる。進化は「打ち勝つことのできない巨大な優越者である環境」に妥協し「生き残った」生物の優れた技術(成れの果て)なのである。そして経験論の生物学的根拠であり、帰納法の由縁である。
「結論が出てしまえば、もうそれ以上、議論を(思考を)続けることができない。」ということを知ることが人間が進化するために必要なのである。中庸こそが人間の未来を示す概念と言って良い。そして権威(結論)を示す集団は進化(議論)を妨げる。
日本の学問が「伝来品」「輸入品」から「国産」へと進化するには、そして、日本の社会が人類が見出した「中庸」にたどり着くには、日本の学問を疑う「方法的懐疑」が必要だろう。それが中立命題、折衷案を採用しなければならない理由である。

「妥協の産物」としての「法」を制定し、執行し、国民の人権を守る人間性は、何かに拘泥し、信仰し、崇拝し、固執する人間性とは相容れないことが、数千年の人類の歴史によって立証されているのである。
そして論文を読めば、その人間の人間性が法を制定するのに不適であることを容易に見抜けるのである。



択一試験対策の間違い

公務員試験の全科目を指導できる私(島村)としては、大手予備校カリキュラムとテキストという膨大な勉強量を1年でこなして合格できる人を「神」と呼びたいです。
合格するには手抜きしかない。合理的な手抜きが短期合格には必須で、それを実現した択一対策が本校の教材と個別指導です。
1. わかるところは勉強しない。わからないところだけ講師に質問する。これが最も効率が良い。
しかし、講師はたくさんいるし、科目毎の講師に一々質問しては時間が係る。一人で全科目が指導できる講師がいれば合理的に効率よい指導ができる。
それが本校の個別指導。
2. 出ないところは勉強しない。出たところだけ勉強するのが最も効率が良い。だから過去問。
3. 難易度を毎年一定に保つことが職務階級別試験には必須条件。高難易度問題だけやっても非効率だから過去問を年度別に冊子単位で勉強すれば、常に一定の難易度で勉強を継続できる。
4. 予備校に行くのに時間が係る。だから2008年からSkypeで個別指導。
手抜き+過去問+冊子+個別指導+Skype=8週間で択一合格
大量の教材。1回欠席すれば不合格になると思わせるカリキュラム。専門的知識に詳しく1言聞き逃したら落ちると思わせる素晴らしい講義。これらに感謝してもし足りない。

     


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大学別 合格者数ランキング

ここでは私立大学の中で、採用者数をデーターに基づいて検証してみましょう。 キャリアについて掲載は控えます。
 〇 国家一般職の合格者数ランキング
  1.  中央大学  60名程度合格
  2.  早稲田大学 50名程度合格
  3.  立命館大学 45名程度合格
  4.  明治大学  40名程度合格
  5.  日本大学  40名程度合格
  6.  立教大学  30名程度合格
  7.  法政大学  20名程度合格
  8.  専修大学  10~20名程度合格
  9.  学習院大学 10~20名程度合格

 〇 東京都1Bの合格者数ランキング
  1.  早稲田大学 95名程度合格 
  2.  慶応大学  50名程度合格 
  3.  中央大学  50名程度合格
  4. (東京大学  40名程度合格)
  5.  明治大学  25名程度合格
  6.  立教大学  20名程度合格
  7.  日本大学  15名程度合格
  8.  学習院大学 10名程度合格

 〇 東京特別区の合格者数ランキング
  1.  明治大学  70~80名合格
  2.  立教大学  50名程度合格
  3.  中央大学  40~50名合格
  4.  早稲田大学 40名程度合格 
  5.  学習院大学 30名程度合格
  6.  法政大学  30名程度合格
  7.  日本大学  30名程度合格

毎年の合格者数に大きな変動はありません。
 〇 全国地方公務員採用者数 私立大学ランキング(教員を除く)
  1.  日本大学  1028名合格
  2.  中央大学  700名程度合格
  3.  早稲田大学 620名程度合格
  4.  立命館大学 400名程度合格
  5.  法政大学  300名程度合格
  6.  東海大学  300名程度合格
  7.  関西大学  300名程度合格


民間倍率の間違い

民間就活では、例えばメガバンクなどで募集人員が100倍とか言われることが多いですが、実際は、その100倍、つまり1万倍くらいになります。
私は東大庭球部で日銀、財務省、メガバンク勤務のOBがぞろぞろいるので、OBとテニスをすること=就職活動でした。どの大学でもOBが部活に来て就職スカウティングをするので、 募集人員の95%は、そうしたOBから引っ張られた人間同士の競争で、そこだけで4倍程度の倍率があります。
残りの5%が公募倍率ですが、また早慶や東大などはフリーの採用枠があるようなので、OB以外でも4%くらいが、倍率20倍くらいの競争で採用されていると言われます。
これから、募集が100人とすると、95人はスカウティングで採用され、その応募人数は380人。
残りの4人は大学別フリー枠で採用され、応募人数は80人。 そして、残る1人に対して、全応募者100×100倍=1万人から、460人を引いた、9540人が競うことになるので、倍率は概ね1万倍となります。
就職して働きだせば、会社の中に部活や大学の「閥」があることを知ります。
就職で、こうした「閥」を上手く利用していい会社に就職するために、大学受験で頑張る必要があるということですね。

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